第17回 メゾン・ド・アングラ(1)

「ケロミ君、痛くても右手上げないでね」

ケロミは左手を即座に上げた。

「左手もダメだよ」

ふわふわの尻尾がケロミの持ち上げた左手をピシリと叩いた。

「わふわふ……」

ガッチリと大口を開いたままのケロミは声にならない声をあげた。

ケロミは、静田さん……もとい、静田先生の歯科医院の治療ベッドの上に横たわっている。静田先生に虫歯の治療をしてもらっているのだ。お餅やらダイエットやらバイトやらで、すっかり歯磨きをしていなかったせいで、ケロミは虫歯になってしまっていたのである。ケロミの虫歯は、夜中にお口の中で、「ゲロゲーロ、ケケケケ……!」と下品に鳴きながらケロミの歯を蝕む。痛いやら、うるさいやらで、とうとう歯医者嫌いのケロミもついに歯医者に行くっきゃなくなったのだ。(ToT)

「ケロミ君の虫歯は、随分元気だねー。しかも、うじゃうじゃいるよ」

「はふぁほは…」

静田先生のミントの香りをかぎながら、お口の虫歯を退治してもらっていると、何とも不思議な異次元にいるような気分になってしまう。時折頬に当たるふっわふわのウール100%の毛がさらにシュールな感覚を増長させた。

「はい!今日は終了!全部で97匹退治したよ。虫歯は退治したけど、1本の歯は、虫歯が既に巣を掘っていたし、巣には卵もビッチリ入っていたよ。これも全部駆除したからね。とにかく、さらに治療が必要だね」

静田先生は、白いマスクを着けたまま、今後の治療方針を説明した。どうやら数回通わないとならないらしい。

「じゃあ、ケロミ君、受付で次回の予約をして帰ってね。お大事に」

「あひかほふこさいまひた……」

ケロミは、麻酔の効いた頬を触りながら、待ち合い室に戻った。

「ああ、ケロミちゃん!終わったんだね」

付き添いで来てくれていたダイス君が、すかさず声をかけた。

「痛かった?ねぇ、痛かった?」

「……ふん、ふこし……」

うなづくケロミは、視線を下げた時に、ダイス君の手に持っているある物に気がついた。

「ダイスふん、あに持ってふの?」

「何か前の患者さんの忘れ物みたい。スマポだよ」

「ふぇっ?!すまほ?」

「ケロミちゃん違うよ、スマポだよ!」

二人の会話を聞いていた受付担当の静田先生の奥さん、イヌヨさんが会話に入ってきた。

「あら、それ、堀田さんの忘れ物ね……。困ったわ、早目に届けてあげたいけど、まだ診療時間内だから……」

「僕らが届けてあげましょうか?」

ダイス君は、スマポを握りしめてカッコつけてモデル立ちでキメながら言った。……しかし、その体は皆さんご期待の筋肉マッチョボデェではない。残念ながら、ご自慢の筋肉はすっかり落ち、標準的な中2体型に戻ってしまっているのだ。筋肉とは、はかないカゲロウのようなもの……。日々の筋トレをしなければ、無情にも筋肉はその肉体からサヨナラも言わず去っていってしまうのが世の常である。持続力が皆無に等しい中2ごときが筋トレを毎日し続けられるはずもない。

「あら、届けてもらっていいの?」

「大丈夫です。僕らって、こう見えても、借金もないし、ダイエットもバイトもしなくていいから暇なんです」

ダイスは親指で自分の胸をトンと軽くたたいた。

「悪いわね。では、行ってもらおうかしら」

「ほんふぉにひくの……」

ケロミは頬を押さえながら言った。

「ケロミちゃんもスンゲェ超絶暇だから大丈夫って言ってますっ」

ケロミは、反論しようとしたが、ダイス君にわざわざ歯医者に付き添ってもらったことを思い出し、まぁ本当に暇だからいっか、と思い直して口をつぐんだ。

イヌヨさんは、スマポを届ける先の住所と地図を紙に書きながら、

「助かるわぁ」

と仕切りに礼を言っていた。地図を受け取ったケロミが、会計と次回予約をしている最中も、横でずっとダイス君はスマポをいじりっぱなしだった。その様子を見たイヌヨさんは、

「よろしくね。お礼に今度ウナギエキス入りチョコレート・パイをごちそうするわ」

と、ニコと笑って首をかしげた。そのしぐさは、可愛いだけでなく、何だか大人の女犬(※正確には、「犬」ではなく、「犬族」ですが)のセクシーな雰囲気が垣間見られた。すると、すぐさまダイス君は鼻血が出ないように赤い目を押さえた。

「で、では、失礼します!」

そそくさとドアの外に出るダイス君の後を「まっへ!」と言ってケロミも追いかけた。

イヌヨさんの、「ちょっと待って、お釣りがまだだわ……」と言う焦った艶っぽい声が後方から聞こえたが、飛び出すように出ていった二人の耳にはもはや届かなかった。

ケロミが、もらった地図を見て道順をチェックしている間、ダイス君は、やはりずっとスマポを手から離さずブツブツ言いながら色々と操作していた。

「ケロミちゃん!これ最新型のスマポだぜ!ってゆーか、未発売のものかも!」

「ほんふぉ?」

ケロミは地図から目を上げた。

ダイス君が手にしているスマポとは、皆さんご存知の通り「スマートポエム」の略である。もちろん、周知のことではあると思うが、スマポとは、設定により気分にあったポエムを絶妙なタイミングで話す、効果グンバツの素晴らしい機能を持つハンディタイプの人気のポエム機だ。そして、癒されたい時、励ましてもらいたい時、ちょっと寂しい気分の時……など、様々なシーンで活躍することは、トレンディグッズに敏感なトレンディヒューマンな皆さんなら既にご存知のことと思う。

もちろん、電話機能やメール機能、インターネット機能など無駄なものは一切ついていない。ポエムに特化したポエム専用機なのだ。しかし、「ポエム」とひとくくりにしているが、スマポのそれは広範囲のジャンルを意味する。短歌や俳句はもちろん現代詩や、未来詩などもあるし、名曲の歌詞や映画の名台詞やダジャレなども含まれる。

スマポの具体的な使い方の例としては、上司に怒られた時にはドンマイポエムを、愛の告白のときは士気を高めるガッツだぜポエムを、絶妙なタイミングで流す設定ができる。スマポは爆発的人気で、歩きスマポで、町中ポエムだらけになり、社会問題になったほどだ。

スマポの操作画面に並ぶのアイコンは、スタンダードな「与謝野晶男風」「あいだみつこ風」や異国タイプの「ポール・エリョアール風」、放浪詩人の「高樹護風」から、気鋭の「中本速風」など様々。無数あるアイコンの中から自分好みのポエマーを選択できるという優れものなのである。

「中本速風はどうかな。押してみよう」

『緑の人が 非常口から出ていく その……』

機械音がポエムを読んだが、途中で音が小さくなって聞こえなくなってしまった。

「これはどうかな?」

ダイス君は画面の別のアイコンを押した。

『夕間暮れ 犬とこお……』

やはり途中で音が聞こえなくなる。

「これは?」

『すいか喰う……』

どのポエムも、いいところで音が聞こえなくなる。

「ロックかかってるみたいなんだよね。スタンダードポエム以外は、聞けない設定になっているみたい。届けたお礼にロック解除してもらって、操作しまくりたいな~」

ケロミは、なぜダイス君が、率先して忘れ物を届けようとしたか、その下心がようやく分かった。

「ほうひうほんたんか……」

「え?いいアイディアだって?やだな、その通りだよ、ケロミちゃん。そんなに褒めないでよ。僕が頭がいいからってさ」

にやつくダイス君は、ケロミの冷ややかな視線も気にせず、他人のスマポを勝手に操作し続けている。

「ほあぁ……」

ケロミは、頬をさすりながら、ため息をついて、地図に視線を落とした。届けに行く先は、意外にケロミやダイス君の家に近い隣の町内会だった。

届け先に向かいぽくぽくと歩いていると、頬に添えた手の感触が感じられるようになってきた。ケロミの歯の麻酔が切れてきたのだ。まともに話せるようになったケロミはスマポに夢中で、ケロミなどアウトof眼中なダイス君に話しかけた。

「あ~あ、治療嫌だったな~。そういえば、ダイス君は虫歯にならないよね?」

「うん。口はないから。目だからね」

「でも目から餅やらなんやら食べてるよね?口でもあるよね?」

「口じゃないよ!サイコロ族なんだから目だよ!ケロミちゃんは、人のナィーブな部分をいじってひどい!」

ダイス君は、やっとスマポから視線を離し、赤い目をケロミに向けた。

「あ……・あー、そうそう目だったよね。まぁ、おわびにこれでも……」

と、ケロミがエプロンのポケットからお餅飴を差し出すと、ダイス君は、むんずとそれをつかみ、包み紙から飴を取り出すと、赤い目の中にポイと投げ入れムシャムシャと食べた。

それを見つめるケロミの冷めた眼差しを感じたダイス君は、

「目とか口とかって、それぞれの気持ちの問題だよ。現代人は、多様性は受け入れないとね。うんうん」

とほざいた。その時スマポが、

「目は口ほどに物を食う だってサイコロだもの」

とポエムった。

「さすが、スマポ!」

二人の間に芽生えつつあった嫌な気分は雲散霧消した。そのまま、わいわいと話しているとすぐに目的地に近づいた。

「あ・その先を曲がったところが届け先みたい」

ケロミ達は、角を曲がった。

「ここだ!」

「……あれ!?」

地図にあった住所には建物らしきものが何も建っていなかった。空き地というわけでもなく、そこには10個ほどの郵便ポストと煙突が整然と並んで静かに立っている。そして、それぞれのポストの横の地面には四角い鉄製の蓋が地面に備え付けられているのにすぐに気がついた。

敷地全体は、低層アパートでよく見かけるような白いタイルの塀で囲まれており、エントランスのアーケードも、よく見かける低層アパートのそれと同じだ。アーチ状になっているアーケードの上部には銀色の文字盤がはめ込まれている。

「メゾン・ド・アングラ……」

「やっぱり、ここだ、届け先は……!」

エントランスの下で、ケロミとダイス君が立ちすくんでいると、一番奥にある煙突から、暖かそうな白い湯気がゆらゆらとゆっくりと手招きをするように立ち登ってきた。

★★メゾン・ド・アングラ (2) に続く★★


浅羽容子作「シメさばケロ美の小冒険」第17回、新しいお話のはじまりです。いかがでしたでしょうか。

「スマポ」のロックがかかっていても中本速さんのポエムはホテル暴風雨0419号室「ポエムで悪いか」で読めるんだよダイス君!

スマポが途中まで機械音で読んでくれた「非常口」はこちらをご覧ください。

・・非常口緑の人が非常口から出ていくそのすがたはしって出ていくその先は白い光にみちている外は明るいかけてゆくおしつぶされそうになったらこころのそとにでておいで僕?いないよほんとだよ

さて、見るからにあやしい「メゾン・ド・アングラ」で何が起こるのか、

無事にイヌヨさんのご褒美「ウナギエキス入りチョコレート・パイ」をごちそうになれるのか、

漂着した大量のチョコレート・パイもぜひ読みつつ、次回もどうぞお楽しみに!

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