大穴のそばのシルエットからは小さな二つの光が発せられている。王はひるんだ。その二つの光を放つシルエットは、王をまっすぐ見据えるかのように近づいてくる。シルエットが徐々に明確な形態となってくると、二つの光はあるペンギンの目であると分かった。色素の薄い鋭い目だ。そして、レモン色の頭、小さめの中型の体躯……。紛れもない、それはキガシラペンギンである。王は、ある噂を思い出していた。あの噂は本当だったのか……。
王の方に向かい歩いてくるキガシラペンギンは、予想通り、黄頭ボブ尾(きがしら・ぼぶお)である。何かが入っているらしき袋をフリッパーに握っている黄頭は、ギラリと鋭い目を光らせた。睨んでいる訳ではない、そういう目つきなのだ。そう分かっていても動揺してしまうような眼力である。そんな黄頭は、王とすれ違いざまに丁寧な会釈をした。
その時、「#@○▼≪×∂……」と黃頭から奇天烈な言葉が微かに聞こえた。だが、王にはその言葉を理解することはできない。呆然と立ち尽くし、挨拶し返すことも忘れ、ただ、黄頭の左右に体を揺らして歩くペンペンとした後ろ姿を見送るだけであった。
「ただいま……」
結局、拍子抜けした王は、大穴に叫ぶことをせずに酒屋に帰ってきた。
「おかえり、兄ちゃん」
店の入り口で会った弟のサマ雪は、ちょうど店の手伝いを終え、家へと帰ろうとしていたところだ。
「サマ雪、ただいま。今日も店を手伝わせて悪かったな。もう明日からは手伝いはしなくていいから」
「そうなの?兄ちゃん?お手伝い嫌いじゃないんだけどなぁ」
「勉強しなきゃダメだろ。そうそう、岩飛さんからシュレーターズのライブのチケットをもらったよ。兄弟3人で来てって」
「え!?シュレーターズ!やったぁ!ありがとう!兄ちゃん大好き!」
サマ雪は、ペンペンと嬉しそうに跳ねて王に抱きついた。サマ雪のような子供ペンギンにもシュレーターズは人気のようだ。王は、酒屋一筋の酒マニアである。ほかのことには疎い。なので、これほどまでにシュレーターズが人気なことは知らなかった。いや、酒一筋といっても、慈円津のファンではあるので、酒と慈円津以外のことに疎いのではあるのだが……。
「じゃあ、先に帰るね」
サマ雪が、嬉しそうに店を出て、スズシ区行きのペンギンバスに乗って帰っていった。店の奥の事務所に入ると、兄のサマ春がフリッパーなめなめ帳簿付けをしている最中であった。
「サマ義、おかえり。今聞こえたけど、明日から慈円津さんの店は手伝わなくていいのかい?」
「あぁ、兄さん、そうだよ。今まで、店をお願いしちゃって悪かったね」
王は、そう言うと、ペコリと頭を下げた。
「わけないさ。俺は専業漁師だからな。時間の融通はきくよ」
サマ春は商売をしていない。ごく普通のペンギンの職業である。ペンギンの普通の職業とは、「専業漁師」である。ペンギンは100%漁師である。あなたの周りにいるペンギンも漁師であることは確実である。もしかしたら、人間だと思っている漁師の中にペンギンが紛れ込んでいる可能性すらある。そう、店を経営している王も阿照も慈円津も、実は本業は漁師でなのである。だが、漁師だけではちょっとつまらない、と感じた個性派が商売をしているのだ。基本的に自分の好きなことを商売にしているので、趣味の延長とも言え、ついつい気合いが入り過ぎてしまうことも多い。
王もお酒が大好きだ。清酒魚盛(さかなざかり)は、アッツイ区のガラパゴスペンギン族が製造しているが、これを見出し世に広めたのも王だ。その他、イワシビールやイカウィスキーなどの酒各種を取り扱う。王の酒の良し悪しの判断は一目置かれている。いわゆるソムリエでもあるのだ。酒に関することになると、王はまさに水を得たペンギンのようになる。まぁ、元からペンギンなのだが。
「一杯飲もうや」
サマ春は、帳簿を閉じ、魚盛を2つのコップに注いだ。
「……うん」
王は、注がれたコップ酒をゴクリと一気に飲み干す。机の上にあった魚醤「おさかな香水」をフリッパーで弄び、いかにも思案げな様子だ。
サマ春は、あえて何も言わずに、フリッパーで王の撫で肩をペンペンと優しく叩いた。
「そうそう、さっき、サマ雪が魚醤をおさかなジュースに入れて飲んでいたよ。魚盛にいれてもいいんじゃないか?」
「そうだね……入れてみようか……」
王は、2杯目の魚盛を注いだグラスに魚醤を垂らしてみた。そして、ゴクリと一口。すると、よどんでいた王の瞳が、にわかにペンペンと輝きだした。
「兄さん、これはすごい!魚盛のまろやかな風味に、魚醤の凝縮された旨味成分が加わり、ハイレベルでゴージャスでマーベラスな味わいだよ!」
「慈円津さんの魚醤と魚盛、いい組み合わせだな」
サマ春の言葉に王は輝いていた目をすぐに伏せ、魚酒臭いため息を吐いた。そう、魚醤入りの魚盛は抜群に美味しい。美味しいはずなのに目が潤んでくるのは何故だろうか……。王は、反芻するように今日一日のことを思い返した。頭の中には、慈円津や岩飛が浮かぶ。……しかしそれらはすぐに鋭い視線に取って代わってしまった。あの射るような鋭い色素の薄い瞳に、だ。
「そうだ、実は、今日ちょっとモヤモヤしたことがあって、大穴のそばに行ったんだ」
「夜に大穴に行くなんて、物好きなヤツだな」
サマ春は、チビチビと魚醤入り魚盛を飲んでいる。
「誰もいないと思っていたんだけど、穴のそばに人がいたんだ。……黄頭さんだったよ……」
王は、持っていたグラスを静かに机に置いて続けて言った。
「兄さん、あの噂は本当だったのかな……」
サマ春は、魚盛をちびりとやってから言った。
「違うんじゃないか」
「でも、顔つきが怖かったよ」
王は3杯目の魚盛を自らのグラスに注いだ。
「キガシラペンギン族は、いつも顔が怖いだろうが」
サマ春は眉を寄せ苦虫を潰したような顔をしてみせた。
グラスを口にしていた王は、その顔を見て吹き出しそうになった。
「ひどい顔だよ!兄さん!」
サマ春は調子に乗って、さらにひどい般若のような顔をしてみせた。
「そうだな、笑っても怖い顔だしな」
「そうだよ、兄さん。笑っても泣いても怖い顔なんだよ、キガシラペンギンは。逆に、怒っていた方が怖くない顔なのかもな」
王は、笑いのため目を潤ませている。
「……とすると、黃頭さんは一度も怒ったことがないことになる」
サマ春は、今度は目尻を下げニヤけた顔になりおどけた。
「なんだよ、兄さん!そんなこと黃頭さんが聞いたら怒るよ!」
腹をフリッパーで抱えて王は笑った。
「こんな顔で怒るのかい?」
サマ春は、フリッパーで自分の頬を下に伸ばし、思いっきり垂れ目にしてクチバシをダラリと開いて「ギョケケ」と変な笑い方をした。
「兄さん、もう~!」
兄弟は他愛もない話で笑いあい、酒を酌み交わした。夜はペンペンと更けてゆく。
「そろそろ帰ろうか」
掛け時計を見たサマ春が言った。王は、「うん」とつぶやき、ふらりと立ち上がったが、その拍子にバランスを崩してしまった。
「おっと!」
王は、サマ春に受け止められた。
「おいおい、お前、大丈夫かよ?」
「……うん」
王は、バス停に向かい夜のおさかな商店街をサマ春にもたれるようにして歩いていく。前掛けのポケットに入れたチケットを、やけに重く感じつつも……。
そして、その頃、慈円津はシュレーターズのプロマイドをペンペンとした表情で見つめていた。
(つづく)
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第2章 王の恋(2)、いかがでしたでしょうか?
大穴から恐ろしいものが出てくるのでは?との危惧は杞憂に終わったものの、鋭い目つきの黄頭ボブ尾さん、こんなところで一体何を!?そして慈円津さんの胸の内はいかに!次回も目が離せません。
さて初登場、黄頭ボブ尾さんはキガシラペンギン、別名キンメペンギン。ペンギン族のイメージを覆す眼光鋭い黄色い目と、頭の黄色い羽が特徴です。地球ではニュージーランド南部に住んでいますよ。なかなか賑やかになってきました!
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