指一本 4/4話(出典:碧巌録第十九則「倶胝指頭禅」)

無業和尚は言いました。

「ダルマ大師が我が国に持ち込んだものは何か?
それはただひとつ、「心印」と呼ばれるものだ。
これを受け継いだものには、もはや賢いとかバカとか、セレブとか一般ピープルとかの区別は存在しない。
いいかオマエたち!
立派な人になりたいというのであれば、無駄な努力をするのは今すぐやめろ!
くだらないことを考えるのも、今すぐやめろ!
たったそれだけで、オマエは生死を超越して「超人」になれるのだ。
そうなれば、味方とか子分なんて募集するまでもなく向こうからゾロゾロやってくることだろう。」

無業和尚は一生の間、どんな質問に対しても「妄想ストップ!」のひと言で答えたとか。

これこそ、「ひとつわかれば全てがわかる」っていうヤツですな。

それにひきかえ最近の人たちときたら、ただもう脊髄反射的にわかったつもりになるばかりで、肝心なところを全く理解しようとしません。

この「指一本」の話にしたところで、「倶胝和尚はワンパターンなヤツだった」という風に受け取って、笑って終わりにしてしまいます。

彼は本当は、様々な手段を使うことができる人だったのではないでしょうか?

そうであるにもかかわらず、毎回ただ指を一本立てて見せる。
ここにこそ、彼の本当の親切心があることに気がつかなければなりません。

たとえば、先に挙げた「私ひとりが寒いと感じる時は、全世界が氷河期だ。私ひとりが暑いと感じる時は、全世界が灼熱地獄なのだ!」という話を思い出してみるといいかも知れませんね。

雪竇(せっちょう)和尚はこの「指一本」の話を引き合いに出して、こんなポエムを作りました。

「倶胝のジイサン、なんと親切。
空間や時間の概念を全て取り去ったとき、そこにはいったい誰が残っているのでしょうか?
あなたはまるで、大海原に浮かぶ一本の木切れに向かって目の見えない亀を打ち寄せようとする波のようなお方ですなぁ。」

・・・ナニ言ってんだか! という感じですが、結局のところ、これは雪竇和尚の独りよがりに過ぎない気がします。

「盲亀浮木(もうきふぼく)」の喩えは法華経に掲載されているエピソードですが、そもそも「目の見えない亀」を木切れに乗っけたところで、それがいったい何の役に立つというのでしょうかね・・・

<指一本 完>