杖を握ってぐるぐる回る 3/3話(出典:碧巌録第三十一則「麻谷振錫遶床」)

龍牙(りょうげ)和尚はかつてこう言いました。

「そもそも、「本当にやる気がある」というのであれば、師弟関係はもちろんのこと、一般的な社会規範など全て踏み越えて行くぐらいの気合がなければ、まるでダメだ!
新豊(しんぽう)和尚も言っていたっけ。
『師匠の教えはもちろん、崇拝の対象となっている仏だとかなんだとかなど、思いっきり目の敵としてギリギリやるぐらいのつもりがあって、ようやっとまぁ、修行の入り口にたどり着いたというべきじゃな。なんでもかんでも無批判に受け入れるばかりでは、師匠や仏に騙されていると言われても仕方がない。』って。」

それを聞いた坊主が尋ねます。

「いやいや、仏は人を騙そうなどと考えないと思いますがね。」

龍牙和尚は言いました。

「オマエなぁ、大きな川や湖が「人の通行の邪魔をしてやれ!」などと考えると思うか?
まぁ、考えがあろうがなかろうが、大きな川や湖は歴然と人の通行の邪魔となっている。
大きな川や湖は人を遮らない、とは言えないよな。
仏が人を騙そうと考えるかどうかはともかく、今どきの連中は仏の足元に這いつくばってそれで満足してしまっているようなのばっかりだ。仏が人を騙さないとは言えないのではないかな? 仏の頭のテッペンを踏みつけてさらに高くジャンプしよう、というぐらいの気持ちが持てたなら、ようやく歴代の師匠たちと同じスタートラインに立てたと言えるのだ。」

坊主:「それでは、いったいどうしたら騙されずに済みますかね?」

龍牙:「自分の頭で考えろ!」

そもそも「悟りを得たい」などという気持ちを持ったが最後、心は風に吹かれた水面のようにゆらゆらとさざなみ立ってものごとを正しく映すことができなくなります。

「悟った」などという気持ちを持ったが最後、心はカチカチに凍りついてしまい、もう身動きが取れなくなってしまいます。とはいえ、「悟りを得たい」とも「悟った」とも思わない連中のウサン臭さといったらヒドイもんです。

そこら辺のところをしっかりと見極め、一点の曇りもない境地に至ることができたなら、まさに水を得た龍、山を得た虎のようなもの。そいつにかかれば瓦礫もピカピカと輝きだし、純金も一瞬で光を失うことでしょう。

遠い西の彼方に、伝説の仙女である西王母が住む屋敷があるのですが、そこの庭には池があり、それを取り囲むように十二の真っ赤な門が立っているとか。

物質世界の頂点に君臨する帝釈天の居城にも、やはり同じように十二の赤門があるのだとか。

そしてそれらの門をくぐろうとする人は誰もいないのだとか。

雪竇(せっちょう)和尚はこれらの話を踏まえて、次のような頌(ポエム)を読みました。

あれも間違い、これも間違い。
そんなこたぁ、どうだってええじゃないか!
大海原が一斉に凪いで、川や湖が全部干上がるとき、
手練の振るう杖の風は、十二の門のはるか上を吹き抜けていく。
あらかじめ用意された門の多さに戸惑う必要はないぞ。
ぶっちゃけ、そんなもの使うヤツは誰もいやしないんだから。
そんなこたぁ、わかってるって?
よろしい、それではオマエに「無病薬」を飲むことを許可しよう!

さて、読者のアナタはいかがですか?

無病の人にしか効かないという薬、「無病薬」を飲む資格はありそうですかね?

<杖を握ってぐるぐる回る 完>