火を渡る仏 1/3話(出典:碧巌録第九十六則「趙州三転語」)

インドからやってきた達磨大師から仏教の真髄を受け継ぎ、中国における二代目伝承者(達磨大師を初代と数える)となった慧可(えか)和尚は、本名を「神光(しんこう)」といいます。

なんでも彼が生まれたとき、まばゆい光が部屋中に満ちて上空までほとばしったといわれており、さらに彼がある程度成長してからのこと、ある晩、なにやら神様っぽい人が突然出現して、「おいオマエ、こんなところでいつまでも何をやっとるんじゃ! とっとと南へ向かいなさい! 今すぐにだ!」と命令されたことから、自分でそう名乗ったのだそうです。

神光を名乗ってからすぐに洛陽の都に出て、しばらくの間は勉学にいそしんでいたのですが、全ての学問を極めてしまってからは、こういって嘆くようになりました。

「ああ、孔子の教えも老子の教えも結局のところ「ルール・マナー」の域をでない。なんとも物足りないことよ・・・ もっとなんかイカしたものがあるのではないのかなぁ。そういえば、今、インドからきた坊さんが少林寺に来ているらしいな。彼はどんな感じなのだろうか? ああ、話を聞いてみたいなぁ・・・」

そして遂に思い余って少林寺に行き、達磨大師に直接教えを乞うたのですが、彼は壁に向かって座ったままで、全く口をきいてくれません。毎朝毎晩、何日も続けてお願いしましたが、それでも後ろを向いて座ったままです。

やがて季節は冬になり、十二月九日には大雪が降りました。

神光さんは、こう念じながら寒さに耐え、立ち尽くしていたとのことです。

「くっ、さ、寒い! このままでは死ぬかも知れないし、もう帰っちゃおうかな・・・
・・・いやいやいや! こんなんでくじけていてどうするんだ! 昔の人は真実を知るために自分の骨を砕いて髄を取り出したり、ガケがら飛び降りて虎に自分の体を食べさせたりしたそうじゃないか。それに比べたら、なんのこれしき・・・」

しんしんと降り積もる雪が膝の上に達したとき、遂に達磨大師が声をかけました。

「・・・オマエ、そんなところで何しとんねん? 何か欲しいものでもあるのか?」

神光さんは涙ながらに訴えます。

「お願いですから、全世界の人々を救うことができるという「仏教の真髄」を私に教えてくださいませ!」

達磨大師は言いました。

「アホか! 「仏教の真髄」を知るためにはな、永遠にも近い期間の勉励刻苦が必要なのだ。
とてもできないようなことでも成し遂げ、とても耐えられないようなことでも耐えなければならないのだ。とてもじゃないが、オマエのようなチョコザイなアホウに教える気にはならないね!」

これを聞いた神光さん、どこに隠していたのか刀を取り出すと自分の左腕を切り落とし、残る右手でそれをつかみ上げると、達磨大師の前に置きました。

達磨大師はそれを見て、こう言いました。

「・・・オマエ、なぜそんなことをするんだ?」

神光さんは言いました。

「・・・私の心はフラフラとさまよい、どうやっても落ち着かせることができません。お願いですから、私の心に安らぎを与えてください!」

達磨大師は言いました。

「わかったよ。そこまで言うならオマエの「心」を持ってきなさい。安らぎを与えてやろうじゃないか。」

神光さんは言いました。

「い、いや・・・ そうしたいのはヤマヤマなのですが、私が安らぎを与えて欲しいと願っている「心」を取り出そうと思っても、どこにも見当たらないのですよ・・・」

達磨大師は言いました。

「じゃあ、もう安心だな!」

そして、彼に慧可という名前を付けてやったとのことです。

その後、僧粲(そうさん)という者が彼から真髄を受け継いで三代目伝承者となったのですが、当時の政権が仏教を禁止する政策をとって僧侶たちを弾圧し始めたため、彼は十年以上の間、山奥に潜伏することを余儀なくされました。

そんな事情もあって、後に歴代伝承者の伝記が編纂された際にも、二代目慧可和尚に関する情報は全くと言ってよいほど何もありませんでした。

つまり、唯一伝わっているのが、「雪の中に立ち尽くしていた」という話なのですが、雪竇(せっちょう)和尚はこの話に対してこうコメントしています。

「二代目も雪の中に立つことをやめることができて良かったよなぁ。もしもそのまま立ち続けていたら、バカどもがこぞって真似するところだったぜ。

―――――つづく

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