火を渡る仏 3/3話(出典:碧巌録第九十六則「趙州三転語」)

破竃堕(はそうだ)和尚というのは嵩山に住んでいた人なのですが、大変な変わり者として知られ、本名等のプロフィールが一切不明のナゾの人であったとか。

彼が破竃堕と呼ばれるようになったのは、次のようなエピソードに由来しています。

ある日、彼が弟子たちとともに山奥の村に出かけた時のこと、なにやらウヤウヤしい感じの神社があるのを見つけました。

入ってみると中には竃(かまど)がひとつあるだけだったのですが、村の人が言うには「これは大変霊験あらたかな竃で、近隣はもちろん、遠方からも広く参拝者を集めており、頻繁に生贄をこの竃で煮て神さまに捧げる祭りを実施している」とのこと。

それを聞いた和尚、つかつかと竃の前までいくと、手にしていた杖でコツコツと三度竃を叩き、こう言ったとか。

「こらオマエ! オマエは単に泥土をこねて造られたただけのものではないか。何をどうカンチガイして「神」だとか「霊験」だとか言っては殺生を重ねておるのじゃ!?」

そしてさらに三度杖で打ったところ、竃は崩れ落ちてしまったとのこと。

皆が唖然としていると、突然、立派な冠をつけて青い服を着た人が出現し、和尚に対してこう言ったとか。

「はい、お察しの通り、私は竃の神です。思えばずいぶん長い間、この場所でわけもわからず殺生を重ね続けてきたわけですが、今日、和尚の教えを受けたお陰で天上界に生まれ変わることができました。どうしてもひと言お礼が申し上げたくて、こうして出現した次第です。」

和尚は言いました。

「ふん! ワシは何も教えてなんかおらん。オマエの実力じゃよ。」

それを聞いた竃の神は、再びお辞儀をすると消え去りました。

弟子のひとりが尋ねます。

「和尚さま・・・ そういえば我らももう長いこと和尚にお仕えしているわけですが、これといって天に生まれ変われるような教えを受けたことがありません。いったい、あの竃の神はどうしてそれができたのでしょうか?」

和尚は言いました。

「ワシはただ、「オマエは土から造られたものに過ぎないのに、何をカンチガイしておるのじゃ!?」と言っただけじゃ。」

弟子たちが黙ったままなのを見て、和尚は「わかるか?」と尋ねました。

弟子が「わかりません・・・」と答えると、和尚は言いました。

「キミ、お辞儀をしなさい。」

弟子が頭を下げた途端、和尚は言いました。

「そら破れた! 破れたぞ! そら崩れた! 崩れたぞ!」

それを聞いた弟子は、ガビーンと悟ったとのことです。

後日、ある坊さんがこの話を安国師にしたところ、安国師は感嘆してこう言ったとか。

「ううむ・・・ 「物質と自我は、実は同じものである」という悟りの境地があるのじゃが、まさか、それをそこまで徹底できるようなヤツが実在するとはなぁ・・・」

さて、ここで読者のあなたに質問です。

人間の身体と泥土は、違うものでしょうか? それとも同じものでしょうか?

そして、なぜ、雪竇(せっちょう)和尚は「木製の仏像は、火を渡ることができない」という話に対して、「ほとんどの人は、殴られて初めて自分の限界は自分で決めたものだったことに気づくんだよなぁ。」 などというコメントをつけたのでしょうか?

・・・まぁ、どうせお前さん程度では絶対にわかりっこないでしょうから、せめて私からは、ここには損得勘定とか作戦とか一切なく、素直に親切心を発揮しただけだ、ということだけ申し上げておきましょうかね。

<火を渡る仏 完>