お経のパワー 1/3話(出典:碧巌録第九十七則「金剛経軽賤」)

いいですか、皆さん。

ひとつのことがらを見聞きして、それをしっかりと間違いなく理解して身につけることができる。そんなものは「基本以前」の問題であって、できたからといって何の偉いこともありません。それすらできないというのでは全くお話になりませんが、だからといって、それが「できたからもう充分」などと思ったら大マチガイです。

一を聞いて、一を知る。こんなものは「充分」どころか、まだ入り口にもたどり着いていないと考えなさい。

そこのアナタ、「自分には関係ない」と思っているでしょう。それだからアナタはいつまでたっても「人間未満」なのです。

「一隅を挙げて三隅をもって反す」とか、「一を聞いて十を知る」とかいう言葉があるようですが、たとえアナタがそうだったとしても、まるでダメです。まるっきり、わかっちゃいないとしか言いようがありません。

例えば、天を割り地を引き裂き、轟音とともにプラズマを放つ。大暴風と豪雨を巻き起こし、海の水を逆巻かせ、そびえたつ山を逆立ちさせる。 ・・・というぐらいの能力とパワーを持っていたとして、ようやく四十点取れるかどうかです。

ああ、ダメだダメだ。全然ダメだ。

どこかに地球の回転軸を赤道上に移動させ、銀河系を逆転させるほどの力の持ち主はいないものですかねぇ・・・

さて、話をもどしましょう。

第一話にも登場する梁の武帝の自慢の息子、昭明太子は名編集者としても知られた人物でしたが、彼が「金剛般若経」を編纂した時、その中の一編に「能浄業障(のうじょうごっしょう)」というタイトルをつけました。これはつまり、このお経には「過去の罪悪からくる現在の悩みや苦しみ」をキレイさっぱり消滅させる能力がある、という意味です。

実際にそこに書かれていることはといえば、次のとおりです。

他人からヒドイめにあわされたとしても、決して腹を立ててはなりません。なぜならば、それこそが、基本的に不可能であるはずの「前世の罪悪」を消滅させることができる、唯一の方法だからです。

前世での行いの悪さゆえに、本来なら人間未満の存在に生まれ変わるハズだったのに、たまたまラッキーで人間の姿に生まれただけのような人が、そこでさらに他人からバカにされたり殴られたりというヒドイめにあわされると、なんとそれによって取り返しがつかないハズの「前世の罪悪」が帳消しになるのです!

ちょっと論理的にムリがあるような気がしなくもありませんが、これ自体は、悟りを得るための心構えを説いているわけで、まぁ、納得です。

ところがこれがアホウどもの手にかかると、「このお経を丸暗記することが、お経をマスターしたということだ。」などという話になってしまう。

もっとヒドイのになると、「いやいや、このお経はそれ自体にミステリアスな力が秘められているんだ。」などと言い出す始末。

ただその辺に置いてあるだけの「テキスト」に、いったいどんなことができるというのでしょうか。まったくどうしようもないアホウと言わざるを得ません・・・

かつて、法眼和尚はおっしゃったものです。

「仏と同等の能力を持つに到って、はじめて「お経マスター」を名乗る資格があるのじゃ!」、と。

そもそも「お経」っていったい何のことでしょうか。まさか、「巻物や冊子のことだ」とか思ってはいないでしょうね?

―――――つづく

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