臨済和尚の極意について 3/3話(出典:碧巌録第三十二則「臨済仏法大意」)

またある時のことです。

定上座が橋の上を通りかかると、三人のリーダー格の坊さんたち(座主)に出くわしました。

よせばいいのに、その一人が上座にからみます。

座主:「ちょっといいですか? よく「禅の河は、深みの更に底まで潜ってみろ」といいますよね? これってつまり、どういうことでしょうか?」

定上座はいきなりその人を引っつかむと、橋の下に落とそうと暴れ始めました。

残りの二人の座主はビックリしてしまい、こう言いました。

「ひえーっ! すみません! お願いですから止めてください!! こいつが貴方にケンカを売ったことについては謝罪します。ですからどうか殺さないでください!!」

定上座は言いました。

「ヘン! こいつの願いどおり河の底まで沈めてやろうと思ったのによ!!」

・・・彼がこんな性格になってしまったのは、100%、臨済和尚のせいなのです。

私の師匠の雪竇(せっちょう)和尚はこの話を取りあげたあとで、こんなことを言っていましたっけ。

「実は、臨済和尚がこんな性格になってしまったのも、また、彼の師匠の黄檗和尚のせいなのだ。彼の師匠はまぁ、なんというか実に「激しい」お人だった。その弟子がゆったりした芸風になるわけがないよなぁ。
かつて黄河の流れは崋山のところで折れ曲がっていたのだが、河の神である巨霊(これい)はひょいと片手を振り上げると一撃で崋山をまっぷたつにぶち割って、まっすぐ流れるようにしたというが・・・」

楞厳経(りょうごんきょう)というお経には、「オレ様は指先でちょこんと触れただけで無限の智慧の光を溢れさせることができる。だが、オマエが必死になってあれこれ考えてみたところで結局はただのくたびれ儲けにしかならないのだ!」と書かれているそうですが、確かにグダグダ考えたところで得るものは少なく、むしろバッサリやってくれた方がすっきりしてよいのかも。

冒頭で取り挙げた定上座のエピソードですが、これも長年積もりに積もった彼の悩みを臨済和尚が一撃で木っ端微塵にしたということですよね。

あたかも巨霊の一撃のように。

<臨済和尚の極意 完>