酒カス野郎 6/7話(出典:碧巌録第十一則「黄檗酒糟漢」)

この「酒カス野郎」のエピソードに対し、雪竇和尚は次のようなポエムを詠みました。

凛として孤高を保ちつつも風のようにとらえどころがない。
世界の全てを見渡して、龍か蛇かを見極めてゆく。
あの大中天子も若い頃、ちょっかいを出して三度も張り倒されたそうな。

・・・なんだか肖像画に書き込まれる人物紹介みたいな感じですが、黄檗和尚のハタラキの凄まじさはまだまだこんなもんじゃありません。

ポエムにもあるじゃないですか、「凛として孤高を保ちつつも風のようにとらえどころがない」、と。

黄檗和尚は決して「ワシは賢いがオマエらはアホタレだ!」と威張りたいがために人を「酒カス野郎」呼ばわりしているわけではないのです。

ここでもし黄檗和尚の真意が見抜けたならば、タテヨコナナメ自由自在。

ある時はチョモランマ山頂に一人立ち、またある時はラスベガスで多勢の取り巻きを連れて豪遊する。

なんの「一隅を守る」ことなんかで満足できるものですか!

捨てても捨ててもなくならない。
探しても探しても見つからない。
担いでも担いでもビクともしない。

昔の人は言ったものです。
「翼がないのに世界中を飛びまわるもの、それは名声だ」、と。

仏教の教理や規範を全部投げ捨てたらそれでいいのかというと、それはやはりちょっと違うのです。
それは放っておいたって自然にあちらこちらで成立するものです。

雪竇和尚は「世界の全てを見渡して、龍か蛇かを見極めてゆく」などと仰いましたが、それでは果たして雪竇和尚自身は「龍」なのでしょうか? それとも「蛇」なのでしょうか?

門をくぐって入ってきたものの真価をひと目で見抜く。

これを「龍蛇鑑定士の眼」または「猛獣狩りのシステム」と言います。

雪竇和尚はこうも言いましたっけ。

「龍と蛇がちゃんと見分けられるか? 猛獣を捕らえるシステムはちゃんと動くか? ・・・これがなかなかうまくいかないんだよなぁ。」、と。

―――――つづく

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