酒カス野郎 7/7話(出典:碧巌録第十一則「黄檗酒糟漢」)

雪竇和尚のポエムの中で「若い頃、黄檗和尚にちょっかいを出して三度も張り倒された」という黒歴史を暴露された「大中天子」とは後に唐の十九代皇帝となった宣宗の若い頃の呼び名です。

黄檗和尚の暴れん坊ぶりがよくわかるこのエピソードの詳細は、次のようなかたちで「続咸通伝」という書物にも記載されています。

—(以下、「続咸通伝」より抜粋)———

唐の皇帝であった憲宗には穆宗と宣宗という二人の息子がおりました。
この宣宗というのがいわゆる「大中天子」なのですが、なかなか才気煥発な少年で、十三歳の時には既に座禅にハマっていたとか。

兄の穆宗が皇帝になってしばらくしてからのことです。
朝の勤めが終わった大臣がふと見ると、弟の宣宗、つまり大中が皇帝の席に座り、大臣たちに指示を出す仕草をしてふざけているではありませんか!

大臣は大中が頭がおかしくなったものと思い、穆宗に報告しました。
すると穆宗は手を打って深く感心し、「わが弟こそオレの後継者にふさわしい!」と言ったとか。

さて、穆宗は若くして亡くなり三人の息子が順次後を継ぎました。
三番目の息子の武宗は常日頃から大中(宣宗)のことをバカモノとして忌み嫌っていたのですが、皇帝に即位した後、かつて大中が父親の穆宗の席に座ったことを思い出し、怒りにまかせて大中を動かなくなるまで叩きのめして裏庭に抛り捨てしまいました。

死んだかと思われた大中ですが、身体を洗い流されると息を吹き返し、そのまま宮廷を脱出すると香厳和尚のところに駆け込み、髪を剃って弟子の一人になりすまして潜伏しました。(弟子になるための正式な儀式は受けなかったとのこと)

その後、外出先の廬山において大中の素性を知る和尚が滝を題材にした詩を投げかけて彼を試しました。

「雲を突き抜け岩を砕いて絶えることがない。離れたところから見れば見るほど、随分とまた高いところから落ちてきたのだなぁ、と思わず感慨にふけってしまう。」

大中はしばらく黙っていましたが、おもむろに次のように返したということです。

「いつまでも谷川にとどまると思うなよ。そのうち必ず海に帰って大波瀾を巻き起こしてやるぜ!!」

さて、その後しばらくたってから大きな法要があり、大中は書記を務めることになったのですが、その時の首座、つまり修行僧たちのリーダーを務めたのが黄檗和尚でした。

黄檗和尚が仏像に一礼したところで大中がツッコミました。

「維摩のオッサンは、「仏に求めない、法にも求めない、人々にも求めない」と言ったハズ。今の礼拝はいったい何に対して何を求めようとしたんだい?」

黄檗和尚は大中を張り倒すと言いました。

「仏に求めない、法にも求めない、人々にも求めない。それがオレ様の礼拝の流儀だ!!」

大中は起き上がるとさらに言いました。

「だから、その礼拝はなんのためなのかって聞いてるんだよ!!」

黄檗和尚は大中をもう一度張り倒しました。

「・・・何ちゅう乱暴な坊主じゃ!!」

黄檗和尚は改めて大中を張り倒すと言いました。

「この場をなんと心得て、乱暴とか優しいとか言うのかな?」

大中はその後皇帝に即位し、黄檗和尚が亡くなったときに「麤行沙門(暴れん坊主)」という諡号を与えようとしたのですが、その時大臣を務めていた裴さんがそれではあんまりだと諌めて「断際禅師(ばっさり和尚)」に変更したとか。

雪竇和尚はその辺りのこともよく踏まえてポエムを作ったんですね。

さてさて、今の世の中、黄檗和尚のように痛快にばっさりとやれる人は果たして何人いることでしょうね?

<酒カス野郎 完>

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