塵ひとつ 3/4話(出典:碧巌録第六十一則「風穴若立一塵」)

ここまでこれたならば、あらゆる制約や束縛から離れて神のごとき力を揮うことができるようになり、しかも本人はそれを凄いことだとか全く思わないという境地に到ったことになります。

石頭和尚は言いました。

「着物を頭からひっかぶってオール・ジ・エンド。ワシゃもう何も知らんもんね!」

やれ「心」だとか「性」だとか、「玄」だとか「妙」だとか、もはや全てどうでもよいことです。
だって、誰しも生まれつき神仙と同じ能力が備わっているのですから。

南泉和尚は弟子たちに向かって言いました。

「五祖弘忍和尚のところには弟子が七百人もおった。そしてそのだれもが実に深く仏法を理解した人たちだったのだが、結局和尚の後継指名を受けることができなかった。ただ一人慧能和尚だけが仏法をまるで理解しておらず、そしてそれ故に弘忍和尚の後継者となったのだ。
そう考えてみると、現在・過去・未来の仏たちは皆、実は「仏法」なんて全然知らなくて、逆に猫や牛の方が「仏法」に詳しかったということになるのかも知れんな・・・」

田舎のジイさんが顔をしかめたりのびのびと歌を謳ったり。

さて、これはいったいどう考えたらよいのでしょうか?

ジイさんの物ごとに対する判断基準はいったいどうなっているのでしょうか?

雪竇和尚が冒頭のエピソードを取りあげた後で「さあ! 国家の興亡と運命を共にするヤツがおるなら出てこいや!!」などと叫んで棒を振りかざした時、前に進み出てズバッと一言決めることができるヤツがいたならば、雪竇和尚にドヤ顔をされずに済んだのでしょうけれども・・・

―――――つづく

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