「般若心経の秘密」 第7話(出典:般若心経秘鍵)

玄奘三蔵のマネをしてインド行きを敢行した義浄三蔵法師の訳では、末尾の「効能書き」がある代わりに題名から「摩訶」が省かれていて、さらにその後輩の法月三蔵、般若三蔵らの訳文では、鳩摩羅什や玄奘訳にはない「まえがき(序文)」と「プロモーション用のあおり書き(流通分)」が書かれている。

また、末尾の真言部分「羯諦(ギャテイ)~」は、数々の真言を集めた「呪文集」的文献である「陀羅尼集経」の第三巻に全く同じものが収録されており、そこにつけられているタイトルは鳩摩羅什三蔵法師の訳と同じである。

先にも触れたが、般若菩薩の真言には「身」や「心」などいくつかの種別があり、このお経に収録されている真言はそのうちの「心」に関するものであるから「心経」、「般若心経」と名付けられたのだ。

よく「大部の経典「大般若経」のエッセンスを抽出したものだから「心経」と名付けられたんだよ」などというヤツがいるが、これは例えば龍を見て「ウロコがヘビにそっくりだからこれはヘビだ!」というのと同じで、まるでわかっちゃいないと言わざるを得ない。

それでは本文を五つのパートに分けて解説しよう。

1.「観自在菩薩」~「度一切苦厄」:<人と法を総合的に説くパート>

一:因(悟りを求める原因)

「観自在菩薩」とはいったい何者か? それはつまり熱心な修行者たちのことである。人は誰もみな仏になれる素質をもっており、それが悟りを求める原因となっているのだ。

二:行(修行の行為)

「行深般若波羅蜜多時」、ものごとを徹底的に観察することを通じて、その本質を奥深くまで突き詰めてゆくこと。それがここで述べられている具体的な修行方法である。

三:証(悟りの証明)

「照見五蘊皆空」、修行を通じて得られる悟りの智慧を証明している。

四:入(悟りで得られる結果)

「度一切苦厄」、獲得した悟りの智慧がもたらす結果、それは涅槃に入ることである。

五:時(悟るまでに必要な修行時間)

人の才能は色々であって、同じ修行をしたとしても悟りが得られるまでに要する時間は一定ではない。一生の三倍かかるとか、百三十億年だとか、二千六百億年だとか四千三百億年だとか、色々である。

これをつなげて現代語訳するならば、以下のようなものになる。

修行者たちは、超人的な集中力を発揮して、人間を成り立たせている五つの要素(色:物質的要素・受:感受作用・想:表象作用・行:意思作用・識:認識作用)を徹底的に観察した。

そしてそれらはどれも実体をもたないという結論に達することで、あらゆる迷いや悩みを過去のものとしたのだ。

今修行を続けている者どもよ、いずれ諸君らも必ず同じ境地に到ることだろう。

―――――つづく


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