「般若心経の秘密」 第11話(出典:般若心経秘鍵)

 五:一(悟りは究極のところひとつ):「無智亦無得 以無所得故」

アリヤアバロキティボダイサッタ(=超人的観察力を持つ修行者)、つまり観自在菩薩の三昧境においては、もはや理法と智慧の区別は消滅している。故にこれを「一」と名付ける。

観自在菩薩は、全ての存在はもとから清らかであり、あたかも蓮の花が泥から出てかつ泥に染まらないようなものであるということを皆に示すことを通じて人々の苦しみや災厄を取り除いてくれる。

「無智亦無得 以無所得故」、つまり「悟りに至る手段」も「悟りによって到達できる境地」も、ふたつながらに存在しないということだ。

法華や涅槃などの各宗派のエッセンスはこの十文字の中に全て入っているのだが、どうやら世間のボンクラどもにはそれがなかなか理解できないらしい。

これをつなげて現代語訳するならば、以下のようなものになる。

蓮の花を見て全ての存在はおのずから清らかであることを知り、蓮の実を見て心にはもとからあらゆる徳が欠けることなく備わっていることを悟る。

主客一体の観自在菩薩の境地の前では声聞・縁覚・菩薩の区別などなく、ただ偉大な仏の教えがあるのみなのだ。

―――――つづく