「般若心経の秘密」 第15話(出典:般若心経秘鍵)

さて、「もう少し勉強してから改めて質問に来るがいい」とは言ったが、予め予想される質問に関してはここで答えてしまおう。

Q:オマエは今ここで般若心経末尾の真言部分まで解釈してしまったようだが、真言というのはブッダが説いた秘密の言葉であると聞いているし、オマエも同趣旨の発言をしていたではないか。
そもそもこの部分が真言のままで今に伝わっているのは何故かといえば、鳩摩羅什や玄奘などの偉大なる翻訳僧らがその秘密を守るため、わざわざ訳さずにおいたからである。
にも関わらず、オマエはおこがましくも注釈を加えてしまった。なんというバチ当たりなことだろうか!
謝れ! ブッダに謝れ!!

A:いやいや、必ずしもそういうことにはならない。
ブッダの説法には2種類ある。文字通り受け取ってよいわかりやすいものと、普通そのままでは到底意味のわからないものの二種だ。
これも別にブッダが意地悪してやっているワケではなく、相手を見てその方が理解が進むと思ったから手法を変えたまでのことだ。

それにブッダ自身だって真言の意味についての解説をしたことがある。

中論を書き下ろした大学者ナーガルジュナ(龍樹)や、オレが若い頃世話になったスーパー記憶術「虚空蔵菩薩求聞持法」のテキストを翻訳したシュバカラシンハ(善無畏)、オレに密教の真髄を伝授してくれた恵果師匠のそのまた師匠であったアモーガヴァジュラ(大広智不空)だって同趣旨の発言をしている。

真言部分を訳す、訳さないはその時々のシチュエーションにかかっており、どちらにせよ問題はないのだ!

Q:「文字通り受け取ってわかりやすい」教えと「普通そのままでは到底意味のわからない」教えの内容が同じだとは到底思えない。後者のほうが奥深い内容だからこそわかりにくいのではないのか!?
般若心経はどちらかといえば前者に属するものだ。だというのに、オマエは手前ミソで真言やら密教やらを持ち込んで解説するという。そんなことできるわけないだろう!
バカじゃないのか!?

A:いやいや、なんと言ったらいいかな・・・
優秀な医者は例えそこら辺に生えている雑草をみな薬草として使うことができるし、鉱物学者はそこら辺に転がっている石ころを鉱物資源として使いこなせる。
わかりやすい・わかりにくいは受け手の側の気質というか才能の問題であって、どちらだから奥深いという類のものではない。
般若菩薩の真言や修行方法は「金剛頂経」に説かれているものであるが、これは秘密中の秘密といってよいものである。
また、ブッダは在世中に祇園精舎で弟子たちを集めてマンダラ画や手で印を結ぶなどのことを手ほどきしたが、これもまた同じように秘密といってよいものである。(先に言及した「陀羅尼集経」の第三巻にそれらは収録されている)

繰り返すが、わかりやすい・わかりにくいは受け手の側の問題であって、教えの内容に違いがあるわけではない。

とはいえ、この般若心経は一見わかりやすい文言の中に、奥深い秘密が何重にも折り重なって含まれているというのは事実であって、そうであるが故に、真言や密教の角度からの解説も可能となるのである。

―――――つづく