氏と師と先生……

みなさんは、仕事や公的な行事の場でどんな尊称で呼ばれることが多いですか。

昨年、「全日本仏教青年会・全国大会 in 沖縄」に招かれ、「沖縄固有の信仰を知る」という題でお話しさせていただく機会があった。その時のポスターで僕には「氏」、ほかの講演者には「師」が付いていた。

サラッと理解すれば、ありがたい教えに人々を導く指導者なので宗教者を「師」と称するのだなあとなる。とはいえ、「沖縄固有の信仰を知る」という題で専門分野のお話しを教示する役目の僕にも、師とはいかないまでも「先生」や「講師」ぐらい付けてもらうべきだったと、いま振り返っている。

いや何も、「佐藤師」と呼んで欲しいというのではなく、講師、教師、恩師など、学校で教える人を時には「師」と称することがあるから、宗教の師には学問の師で応対しておきたいと考えたまでのこと。

ちなみに、大学の授業で提出してもらっている出席票やコメントシートに「佐藤 師」と書いてくる学生が、最近増えた。おお!と驚いて内容に目を通すが、僕への帰依や寄付などのニュアンスは一切ない。ごく普通のコメントが書いてあるだけだ。

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そんなことをフェイスブックで呟いたところ、御茶の水にあるS予備校では、慣習として講師の名前に師をつけているとの情報が入ってきた。

なるほど、予備校講師は「師」か。これは、言い得て妙だ。われわれは予備校生を「浪人」と呼ぶ。その浪人たちは、大学社会への移行・準備期間にあり、ただ単に大学受験に堕ちた若者たちではない。彼らは浪人期間の1、2、3年ぐらいのうちに、進学先も人生のこともいろいろ考え、感じ、学ぶ。そんな多感な若者の相手をするには、おそらくただの講師や先生では務まらないだろう。宗教家とまではいかなくとも、「師」の素養や構えのあるひとが、移行・準備のための多くの学びの場にはふさわしいのではないだろうか。

……と書きながら、いまの大学だって、準備・移行の期間であり、そのための機関なのだと思うに至る。

学生の出席票にある「師」のひと文字は、なかなか重いコトバだと思う。

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