理想が現実に負けた日。イギリスのEU離脱国民投票(Brexit)

イギリスの国民投票結果にはショックを受けた。わたしがルーヴルの中身をまとめて買い取れるほどのユーロを所有しているから――ではない。
理想が現実に負けたからだ。それも言ってみればワールドカップのような大きな舞台で。

そもそもEU(欧州連合)とは何か。ヨーロッパから戦争をなくそうという夢である。
小国が分立したヨーロッパの近現代史は戦争につぐ戦争だった。とくに2度の世界大戦はだれも想像できなかったほどの惨禍をもたらした。その反省に立ち、人々は誓ったのだ。戦争のない、平和なヨーロッパを作ろう、と。

国にはそれぞれ固有の歴史があり文化があり言語がある。フランスはフランスでドイツはドイツだ。利害が対立することは山ほどある。それでも平和なヨーロッパという共通の願いのために譲り合い協調していこうという理念が、半世紀以上をかけEC(欧州共同体)となりEUとなった。

いまEU国家間での戦争脅威は減少し、より一般的な生活向上へと目的はシフトしたものの、国を超え民族を超えどこまで協調できるか、という人類史上の壮大な実験が行われていることに変わりはない。

EUには議会があり大統領がいる。EU市民はEU内で自由に移動し居住することができるし、多くの国は共通通貨ユーロを使用し、域内に関税はない。
にもかかわらずEUは国家ではない。加盟国が主権を保持しているからだが、より本質的には意識の問題だ。

日本はなぜ国なのか。日本人が日本人というアイデンティティーを強く持っているからだ。東京の人も愛媛の人も、自分はまず日本人でつぎに東京都民あるいは愛媛県人だと思っている。だから東京都民が納めた税金で四国に橋を作っても(あまり)文句は出ない。

一方、フランス人である前にEU人だと考えている人はほぼいないであろう。ドイツ、イギリスでも同様で、それがEUは国でないということである。
ギリシャの財政破綻にドイツの資金をつぎ込むことについてドイツ国内で絶えず大きな抵抗があるのはそういうことだ。

「日本全体のために各県の利益をどこまで犠牲にできるか?」
「EU全体のために各国の利益をどこまで犠牲にできるか?」
この二つには大きな程度の差がある。

そしてこの度イギリス国民は「もはや許容範囲を超えた」と言ったわけだ。
イギリス人のお金をこれ以上移民のために、EU人ではあるがイギリス人でない者のために使うのはゴメンだと多くの人が言った(といっても52%だが)。

教育・医療サービス、そして雇用が主な論点となったという。数字には表れにくいが、言語や習慣を共有しない人々が町に増えることのストレスも当然あっただろう。
国籍と民族を超えた助けあい、ひとつのヨーロッパという理想が、日々の生活という現実の前に敗れた意味は大きい。

しかし歴史を振り返れば、これまでだってずっと、現実が勝ったり理想が勝ったりのシーソーゲームが繰り返されてきたのだ。今回とくに大きな勝負ではあったが、終わりではない。
終わりのように見えたことは過去たくさんあった。しかし世界は続いている。

いつだって「本当の勝負はこれから」なのだ。


★0703号室「人を知る、世界を知る」で柳野嘉秀さんもこの話題に触れています。
号外「イギリスのEUからの離脱(Brexit)について1」