友達がいる町に原爆を落とせる人はいない。

1、
友達がいる町に原爆を落とせる人はいない。観光でも留学でもいい、いろんな国に行こう。来てもらおう。ネットでもいい。一度でも言葉を交わした人が住んでいるなら、そこはまるで知らない町ではないはず。

2、
人に贈り物をして、すぐに同じ値段のものが返ってくるとがっかりする。温かい気持ちの交換だと思っていたものが、とたんに商売か貸し借りのようになる。早く返さないと利子がつくとでも思っているのか?

3、
共通の友人が、君について良いことと悪いことを言っていたとする。わたしは良いことだけを君に伝えるよ。両方そのまま伝える人もいる。悪いことだけ伝える奴もいる。そういう奴はもちろん友人ではない。

4、
すぐに「わかった!」と言う人が何をしているかというと、既に知っているものに当てはめているだけなのだ。そこに新しいものや創造的なものは何もない。
「これってあれと同じだね」違うよ。同じところもあるが違うところもある。その違うところが新しい学びや収穫なのに、同じところだけ見て「これもう知ってるよ!」
やれやれ。君のメモリーはもういっぱいなのか?

5、
先生の長すぎる遺書を読み進めるにしたがい、読者の心中にしずかに疑念が育まれていく。
本当に「私」の話に戻ってくるのだろうか?
戻ってこないのである。
残りページの少なさが紙の厚みで感じられる。
そしていよいよ先生の遺書が終わったとき、読者はそこに余白しか残されていないことを知る。
どこかで、主人公は変わったのだ。
紙の上ではなく読者の心の中で。
ある一点ではなく、なだらかな傾斜のような移り変わりで。
読み始めの主人公は確かに「私」だった。
読み終わりの主人公は確かに「先生」だ。
これは小説技法上のマジックといえよう。
小説技法上のマジック(夏目漱石の『こころ』)

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