わいたわいたわいたと言い続けると 『ミッドナイト・イン・パリ』

たわいのない話

たわいのない話について考えている。

「たわい」って何だろうとか、「わいた」と繰り返し言い続けると「たわい」に聞こえるだとか、いつもそういうたわいのないことばかり考えているという意味ではなく、それはそれで事実ではあるがまた別の話だ。

映画を観た。
映画館に観に行ったのではなく、自宅で、タブレットの画面で、Amazonプライムビデオ対象作品を観た。今私はテレビを持っていないが、テレビのあった頃ならば深夜のテレビで放映される映画を観るようなハードルの低さで観た。しかも画面を横向きにスタンドに立てて寝て観るという、これ以上低きに流れようのない鑑賞法だ。観たのは、ウディ・アレン監督『ミッドナイト・イン・パリ』という作品だ。
これが実に「たわいのない話」だった。舞台は現代、といっても数年前のパリ(単に数年前の映画だからだ)。アメリカから婚約者とその両親とともに旅行に来たギル・ペンダーは脚本家で、ハリウッドでそこそこ成功しているが、本当は小説を書きたいと思っている。以前訪れた時も、パリの魅力に心引かれたが、再訪していよいよ取り憑かれ、叶うならばパリに住みたいと願う。だが婚約者はマリブに住みたがっており、アメリカ以外に住むなど考えられないと言う。雨のパリを散歩することに喜びを感じる彼に対し、婚約者は濡れるだけだと相手にしない。深夜、ひょんなことで一人で道に迷い、路地を歩いていると、古めかしい車が彼の前で止まり、中に乗っている陽気なパーティーピープルたちに「乗りなよ」と声をかけられる。人違いだろうと躊躇するが、酔いも手伝って乗ってしまうと、なぜか憧れの1920年代のパリの街にタイムスリップしている。そこで彼はフィッツジェラルド夫妻やヘミングウェイ、ガートルード・スタイン、ピカソなど、(彼の思う)パリ黄金時代を彩った芸術家たちと出会う。
どうやってだか朝には現代に戻っている彼だが、夜中の十二時に同じ路地に行き、古い車に乗り込めば、再び昔のパリを訪れることができる。彼は憧れの芸術家たちと何度も出会い、恋をし、自作の小説を見てもらい、いろいろあって現代に帰ってくる。というのがあらすじだ。

ウディ・アレン監督『ミッドナイト・イン・パリ』の魅力とは?

現代のパリも1920年代のパリもとても美しく描かれていて、登場するフィツジェラルド、ヘミングウェイ、スタイン、ピカソ、ダリなどを演じた俳優たちが、写真で見る本人にかなり似ているところは見所だ。だが物語は本当にたわいのない話で、歴史上の芸術家たちの、現代人が抱くイメージを裏切るようなエピソードはひとつも出てこないし、深い交流が生まれるわけでもない。遊園地のアトラクションを楽しむように過去に行って戻ってくる話なのだ。だがこれが不思議と魅力的。不思議と書いたが重ねて言いたくなる、本当に不思議だ。

名もない監督がこういう映画を撮りたいと企画を出してもまず通らないだろうと思う。ではウディ・アレンだからできたのかと考えると、それでもなぜできたんだろうと考え込んでしまう。ストーリーはひたすらたわいなく、もっと言えば安直な方向に展開する。夢見る少年の妄想じゃあるまいし、まさかそれはないだろう、という方に転がって行く。

たとえば、ヘミングウェイが最も信頼する作家であり批評家であると言ってガートルード・スタインを紹介してくれ、彼女に小説を読んでもらうことになる。ギルはいまだかつて誰にも自作を読んでもらったり、意見を聞いたりしたことがないらしい。物語としては、読んでただ褒められるのではさすがに面白くないから、思いもかけなかった部分がいいと評価されるか、酷くけなされるか、何かアクシデントがあってそもそも読んでもらえないか、読んでもらえるが意見を聞きそびれるか、といったところだろうと予想する。しかしこれが「ただ褒められる」のだ。しかもどこがいいのかはあまり語られない。悪くないが少し直した方が良いところもある、という言われ方をして、直して持って行くとまた褒められる。何なんだろう、これでいいんだろうか。

野暮を承知でこの映画から敢えて「テーマ」を捻り出して言語化するなら、過去に憧れ、ノスタルジーに取り憑かれている主人公が、逆に過去から「今を大切に」というメッセージを受け取るということだろうかと思うが、それもたわいのなさのさらに表層という気がする。

私はウディ・アレンの映画を大して観ていない。が、皮肉が効いていて、クスリと笑えたりニヤリと笑えたりする隅々まで計算された通好みのコメディというイメージを持っていた。本作はそのイメージとはだいぶ異なり、しかし少し調べた限りにおいては批評家からの評価も高い上、興行的にもウディ・アレン作品最大の成績を収めたという。

わからなくなる。

批評家の評価とは何だろうとか、みんながお金を払ってまで映画を観たいと思う動機とは何だろうとか、ウディ・アレンて何とか、色々わからなくなる。

マイベスト「たわいのない話」とは

この映画を撮るにあたって監督は、個人的な「夢見る少年の妄想」的なものをここぞとばかりに映像化したわけはもちろんなく、敢えて危険を冒して、たわいのない、安直なストーリーを展開させたのに違いないのだが、ウディ・アレンの熱心なファンをはじめ、一体誰が喜ぶと考えたのだろう。

と思いきや、私も喜んでいるしみんな喜んでいる。もう大喜びと言っていい。

この作品にドキドキハラハラとかドラマチックとかどんでん返しとか惨劇とか愛と感動とかハンカチ2枚とかドロドロの人間劇とか裏切りとかを求めてはいけない。「深い」とか言いたがる人も観ない方がいい。何度も言うが、本当にたわいのない話である。
だが、たわいのない話ならば何でもいいわけではないのだろう。「たわいない話」について、もう少し考えないといけない気持ちになってきた。「このたわいのなさがすごいランキング」なんかあったら気になって見てしまいそうだ。

ちなみに私はシェイクスピアが好きで、何も深い意味をくみ取ろうとつぶさに読んで研究しているわけではないので誤読も多かろうとは思うが、テンポよくとても楽しく読める。そんな私が「たわいがなく面白い」と言われてまず思いつくのはシェイクスピアの『夏の夜の夢』だ。これまた、あらすじを話すと、妖精たちのいたずらで恋の矢が行き違う、というような「それがどうした」と言いたくなるたわいのない話だ。

ひょっとして『ミッドナイト・イン・パリ』はシェイクスピアへの挑戦だろうか。

ミッドサマーとミッドナイトだし。

いや違う。多分違う。かなりの高確率で違う。でも結構いい戦いぶりだと思う。

自分でも何がどうそんなに面白いのか、どうも消化しきれていない。

特にAmazon プライム会員の方は(2018年6月現在)見放題対象タイトルとなっており、気軽に観られると思うので、ぜひ寝転がって観てみてほしい。

大傑作だ!とか、つまんないじゃないか!とか、感動した!とか、五秒で寝たわ!とか、ご感想を教えていただけると嬉しい。それをたわいのない話研究の第一歩としたいです。

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