発狂記念猫〜進化論への一石〜

いわゆる「ごはん食べるとこ見ないの?」攻撃 illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

かつて、私はいわゆる「猫好き」でしたが、最近とみに「猫狂い」への進化の道を辿っている気がします。
「猫好き」などというものが、猫が嫌いな人や興味のない人から見ればどれほど奇異な存在か、「ダニ好き」や「ゴキブリ狂い」などという人がもしいたら、と想像するまでもなく、それくらいはわかります。よって、「猫狂い」への変化を「進化」と呼ぶべきか否か、ちょっとくらいは悩むところかもしれません。「進化」とは世代交代と自然選択により形質が変化することとすれば、これを「進化」とするのはおかしいですが、近頃では「進化」において同種間の交配による形質遺伝だけではなく、異種間交配やウイルスの介在による遺伝子の変異が大きな位置を占めるとも聞きます。昔ながらの「進化」ばかりが「進化」ではありますまい。

しかし、「進化」という概念が、そもそもどこかいかがわしいものではないでしょうか。
よく「進化の系統樹」という図を見かけます。太い樹の根元が原核生物やら単細胞生物で、それが枝分かれするごとに真核生物が生まれ、多細胞生物が生まれ……そして最も高く細い枝のてっぺんが表すのが人間である、というお決まりの図です。根元に行くほど原始的な生物、先端ほど高度に進化した生物ということになっています。
あれは一体いかがなものか、とよく思います。
系統樹の頂点が、哺乳類というところまではまあ、良いとしましょう。でも、先端に来るのはヒトではなく猫ではないか、これが私の仮説です。
生物の分化・進化は、創造主の試作の結果ではないかと思うのです。「究極の、美しくて面白い生物が作りたいものだなあ」と、制作に精を出す創造主。作ってみては「あー、失敗」と、特に後始末もせずに放り出したがために、現在のように多種多様な生物がいるというわけです。人間は、哺乳類の中では最初に作ったのではないかと思います。そして創造主に「やっぱり、毛皮ないといかん。気味悪いわ」と思わしめた貴重な試作品だったのです。その点では高く評価したい。
その後も創造主は試作を続けます。「ライオン」あたりで興が乗ってきました。「しかしなあ、ちょっとこのヒラヒラしたたてがみは、装飾過剰だったかも」と反省し、ライオンのメスはシンプルに作ってみます。だいぶ美しく仕上がったものの何か物足りなく、次に「ヒョウ」を作ります。「うーん、これはいい。毛皮の模様にもう一工夫しようかね」と、次に作ったのが「トラ」です。創造主はかなり、大喜びです。「うわあ、これはかなりかわいいわ。しっぽまでシマシマとかたまらん。でもちょっと、大きすぎやしないか?」
というわけで誕生したのが「猫」です。創造主は気まぐれなので、選りすぐりの猫だけを連れて、後は放置とばかり地球を去ってしまいました。しかし、いつまた気まぐれに戻って来るとも限りません。
この地球は猫のもの。来るかもしれない「最後の審判」に備えて、猫を大切にしましょう。

以上のような文脈でならば、「猫狂い」への変化も創造主が残して行ったウイルスか何かのもたらした「進化」と呼んで差し支えないかという気になってこようというものですが、いかがでしょうか。

さて、猫狂いの身といたしましては、猫族の将来が大変気がかりです。
猫というのは、「家畜」に分類されるものの、その交配・繁殖が完全に人間の管理下に置かれていない点で特殊な存在だそうです。が、去勢手術済みの完全室内猫が良しとされる昨今では、段々事情も変化しているところかもしれません。
「野良猫」というものが、猫が嫌いな人や、猫によって実害を被っている方々にとって忌むべき存在なのは納得できます。ここが人間社会である以上、それを排除すべしという意見があっても、まあ人間の理屈というのはそんなもので、特に驚くことはありません。
一方で、猫好きや猫を愛護する立場からも、「野良猫」は不幸な存在であり、人間と猫との共生を妨げかねないものとされることがあるようです。確かに、野良猫の生存率は低く、極めて強い個体しか生き残れないと思われ、彼らが人間の領域を侵害すれば、即「害獣」として駆除対象になることでしょう。無責任に猫を繁殖させて問題が起こっても知らん顔、では猫好きの風上にもおけません。不幸な猫を増やさないため、もし猫と一緒に生活したいならば、子猫が生まれたら自分で世話するか里親を探す、それができないなら去勢手術を、というのももっともな話です。
しかし、そういう理屈はわかった上で、人間の管理下に置かれない猫が消えてしまうのは寂しいという気持もあります。というのも、私が究極的に望むのは「猫と人間の平和的共生」などではなく、「猫族の繁栄」に他ならないからなのでしょう。
たとえ人類が滅んでも猫は生き残って欲しい。万が一、人類と猫との全面戦争が起こったときには、是非とも猫に勝って欲しい。
こんな願望は極めて反社会的なものですのでこっそりと妄想するにとどめておきますが、「猫狂い」とはこういうものです。

かく言うものの、うちの猫は、完全室内猫です。手術もしています。野生では3日と生きられないであろう性格と体質ゆえ、万一私が先に死んでも家猫として生涯を全うできるよう、人間と共存可能ないわゆる「家猫向け」のしつけをして育てました(もっとも、効果のほどは疑わしいですが)。何しろ野良の世界は厳しい。それに、現時点では全面戦争で猫に勝ち目はないかと思われ、私は100年単位のスケールで、密かに猫族が爪を研いで強くなるのを待っているところなのです。うちの猫の生涯の時間では、恐らくそれには間に合わないでしょう。だったら、安穏な家猫暮らしが、人なつこく、弱いのに怖いもの知らずの猫には合っているというものです。
それにしても、私の猫好き歴は長いですが、猫狂いになってきたのは猫と暮らし始めたここ数年のこと。今の猫が初代の猫です。つまりは、私を発狂させた記念すべき猫というわけです。

私の仮説の続きによるとこの猫は、創造主が作ったとっておきの一匹だったのですが、創造主が地球を去ったとき、小さすぎて地球上に落っこちてしまった猫です。とある公園をさまよっていたところを保護され、縁あって我が家にやってきました。まるで天地創造が数年前のことだったかのような矛盾はこの際気にしません。今頃創造主は地団駄踏んで悔しがっているところでしょう。いつ戻って来るともわかりません。そのためにはやはり、猫を大切にしないといけません。何しろ地球は猫のものですから。

※本記事は、2005年にホームページ旧「雨梟庵」に掲載した文章「雨梟庵雑記」に加筆修正のうえ再録したものです。文中「猫と暮らし始めて数年」とありますがあれから十数年、宇宙一の美女と誉れ高かったうちの猫は齢を重ねますます美しく、全平行宇宙一の美女であることが判明し、私ももちろん歳を重ねて猫狂いが治る気配はまったくありません。


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