1974年という名のバー(前編)

行きつけのバーを持たない人が気の毒だとは言わない。
ただ、こんなときどうするのだろう?
一日の用はすんだ。結果はどうあれ力はつくした。しかし熱が残っている。まっすぐ帰る気分でない。
呑むだけならたまたま行きついた店でもよかろうが、だれかとしゃべることでしか冷めない熱もあるものだ。

そんなときのために行きつけのバーがある。ふらりとよっても知った顔がいる。だれもいなくてもマスターはいる。
私にとって「1974年」はそんなバーだ。
細い階段をおりる。重いドアを押す。音楽が聴こえてくる。
クラシックやジャズと同じくらいロックもかかるのが私には嬉しい。ただ75年以降の曲はかからない。ビートルズはかかってもU2はかからない。
わけは、ある。この店は名前の通り「1974年」なのだ。そこで時は止まっている、あるいは回っている。74年12月が終わると、次に来るのは74年1月。そういうことになっている。
カウンターとテーブル一つの小さな店を、マスターが一人でやっている。品格あるものごしの、バーテンダーの鑑ともいうべき人物だ。姿勢よく、面立ちよく、声もいい。とくに声は、どう形容していいのか、ふくらみがありながらクリアで、耳にとても心地よい。

一杯目はジントニック。迷いたくないから決めている。そして新聞をひらく。
これが曲者だ。日付はあっているが今日の新聞ではない。1974年の「古」新聞だ。とはいえ状態はきわめてよく、何十年前のものにはどうしても見えない。複製品なのか、特殊な方法で保管してきたのか、とにかく不思議である。
私はここで昔の新聞や雑誌を読む愉しみを知った。記事もいいが、なんでもない広告やテレビ欄などがことのほかいい。面白さを狙っていないものが、時代を跳び越すと、どうしてこれほど面白くなってしまうのだろう?
とうに亡くなった政治家がエネルギーに満ちて理想を語る。水着で微笑むアイドルはいまや還暦前後だろうか。男物スリッパほどある電卓が数万円で、週刊誌は150円。中日ドラゴンズが20年ぶりに優勝し、モハメド・アリが奇跡を起こしている。

新聞をおくとマスターが声をかけてくれる、そのタイミングはいつも絶妙だ。
マスターはこの店を作った人物ではない。二代目だという。叔父に当る先代から譲り受けて、20年あまりと聞いた。いまでこそ申しぶんないが、30代の若さでこのバーは少々荷が重かったのではないだろうか。
博識である。私は映画やスポーツの話くらいしかしないが、客には大学の先生や現代美術家もいる。古式武術研究家もいる。彼らの聞き手をつとめるにはそれ相応の教養が必要だろう。お客さんに教わるんですよ、と笑うが、それだけであろうはずはない。読書家であり、勉強家なのだ。

2杯目はショート。きりっとしたのがいい。マティーニ、アラスカ、スレッジハンマー。甘めの気分であればルシアン、バカルディあたり。
カクテルに合わせてつまみが出る。ナッツやピクルス、野菜スティック、なにげないものが、ガラスの、あるいは金属の器におさまりグラスと並ぶと、これがピタリときまる。カウンターの上が静物画になる。センスというしかない。

――――◆後編へつづく◆

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