絵本の文章は設計図か素材か?「自分の強みを捨てる勇気」

ぼくは絵本の文章作家だが、ダミー(試作品)としては表紙から裏表紙まで全ページのラフを描いてしまうこともある。『ながいながいへびのはなし』や『とりがいるよ』が好例だ。これにはアイデア自体が絵と一体の形で浮かんでいて、文だけで提示できないという事情がある。

絵本の文章を書く作家がみなそうであるわけではなく、編集者に「文章作家で全ページ描いてくる人は初めて」と言われたこともある。そうなのか、と思った。他の作家がどんな原稿を出しているのかはほとんど知る機会がない。

 

『ながいながいへびのはなし』(絵・高畠純) 『とりがいるよ』(絵・たかしまてつを)

全ページ描くのは、ぼくの中でかなり絵のイメージができあがっているからで、これは絵描きさんにとっては制約が大きいことにもなる。
一般論をすれば、どんな仕事にも制約はあるし、制約があるから力を発揮できないというのは二流の言い訳だろう。制約の中でも個性と力量を発揮するのが一流の人だ。
高畠純さんやたかしまてつをさんはまさにそうで、ダミーと見比べるとよくわかる。似ているけれど全然違う。こういう絵がほしいという明確なリクエストに対して、それに応えながら自分だけの味や工夫を入れている。

文章のみの原稿を渡すことももちろんあって、『かいじゅうじまのなつやすみ』や『ニワトリぐんだん』はそうだった。
しかし考えてみると文章のみの場合も、ぼくの原稿はリクエストが明確な場合が多い。「このシーンはこういう絵を描いてほしい」がはっきりとある。

 

『かいじゅうじまのなつやすみ』(絵・早川純子) 『ニワトリぐんだん』(絵・田川秀樹)

『ニワトリぐんだん』を読んでもらえばよくわかると思う。完成した絵本の文は最初に田川秀樹さんにお渡ししたときと基本的に変わっていない。多くの見開きは1ページに1行2行の短文だが、「何を描いてほしいか」は極めてわかりやすいはずだ。
つまりラフをつける場合もつけない場合も、ぼくは設計図を引くように絵本の文章を作っている。この設計図で作ってくださいと絵描きさんに渡している。
これは絵本の文章作家としてのぼくの個性で、それは『ながいながいへびのはなし』の画面のアイデアから絵本の世界に入ったからだ。(「絵本作家になったころ1」

しかし今、違うやり方もあるなあと感じている。
リクエストが明確でない、「これ何を描いてほしいの?」というテキストを投げてもいいのではないか。
設計図でなく素材のような原稿を提出する。
設計図方式だと「何を表現するか」は作家が決めて「どう表現するか」を画家が決めるが、「何を表現するか」も半分あるいはそれ以上任せてしまう。(※注)
知人に廃材や自然物を使って作品を作るアーティストがいる。使い終わったペットボトルや古道具、拾ってきた石や流木が彼の手で作品になる。思ってもみない形に生まれ変わる。
同じように、どうまとまるか予定されていない、しかし絵描きさんに火をつけるサムシングがある言葉をあずけ、面白いものを生み出せないか。

絵と文を組み合わせて考える、設計図を引ける能力はまさにぼくがずっと鍛え、一番の武器としてきたものだから、放棄するのは勇気がいる。
しかし強みにしがみついていたら変われない。ずっと同じところにいることになる。変わらなければいけないときはあるし、それは今だと感じている。

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※注:本当は「何を」と「どう」を完全に分けることはできないがここはシンプルに考える。

「絵本作家の仕事」は毎週月曜更新予定です。
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