絵本翻訳について5『かべのむこうになにがある?』ブリッタ・テッケントラップ作 風木一人訳 BL出版

絵本「かべのむこうになにがある?」ブリッタ・テッケントラップ作 風木一人訳 ビーエル出版

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前回の続き。
ぼく自身はこの作品を読んですぐに心惹かれた。ストーリーには驚きがあるし、テーマには深さがある。
しかし同時に、絵本年齢の子どもには難しいのではないかとも感じた。テーマがやや抽象的なのだ。
何度も読み返しながら考えた。いろいろ経験してきた大人なら作者が何を言おうとしているのかすぐにわかるだろう。しかし子どもはどうなのか?
翻訳するに当って対象年齢をどう考えるか、Uさんに相談した。「難しいところもあるがやはり子どもの絵本として訳してほしい。作者も子どもに向けて書いていると思う」というのがUさんの意見だった。
テッケントラップが子どもに向けて書いているのはそのとおりだとぼくも思った。

日本で訳されているテッケントラップ作品をすべて読んでみることにした。その時点で9冊の邦訳絵本があった。いずれも子どもの心に自然によりそう内容で、テーマが難しすぎると感じるものはなかった。
では、なぜ今回だけ?
作風が大きく変わるには必ず理由があるはずだ。

本書は、主人公のねずみが壁のある世界から壁のない世界へ行くお話である。ねずみの他も、ねこやきつねなど動物しか出てこない。
テーマは一言でいえば「壁は心の中にある」ということ。
これまでの作品ほどわかりやすくないことは作家自身が一番よく知っていると思う。それでも他に書きようがなかった。書かないという選択肢もなかった。今伝えなければならないという強い思いがあったとしか考えられない。
作家にはそういうことがある。

テッケントラップはハンブルクに生まれ、ロンドンの大学で美術を学び、現在ベルリンに暮らしているドイツ人だ。
ベルリン在住の作家が作った「壁の絵本」であることはスルーすべきでないだろう。
貧富の差が拡大し、イギリスがEU離脱に向かい、移民問題がヨーロッパを覆わんとしている今、かつて壁のあった街に住むテッケントラップが、子どもに伝えるのが難しいのを承知の上でこのテーマと取り組んだのは、きっと偶然ではない。

本書は「勇気ある人たち」と「壁のない世界」に捧げられている。

翻訳するとは、まずひたすら深く読み込むことで、ぼくがそれを通して感じとったのは、今の世界に対する大きな危機感と、これからを生きる子どもたちのための祈りだった。
難所に迷ったとき、それを大事に訳すことが唯一の指針となった。拙訳により原書の思いが損なわれていないことを祈っている。

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「絵本作家の仕事」は毎週月曜更新予定です。
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