ケンカと仲直りの絵本『ぼくはあやまらないぞ』(風木一人・文 カワシマミワコ・絵 愛育社)

許さなきゃいけないことはたくさんあって、
許してもらわなきゃいけないことはもっとある。

これは当作品のキャッチコピー。ぼくが考えた。本当にそのとおりだと思う(笑)。

絵本「ぼくはあやまらないぞ」風木一人・カワシマミワコ・愛育社

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そうかい。あやまらないんだね。わかったよ。
きみは あんなことしといて あやまらないんだ。そういうやつなんだ。
よくわかった。もう ともだちじゃないよ。さよならだ!

これが作品冒頭部分。いきなり緊迫感全開である。
主人公のロバが誰かとケンカしている。なぜケンカしているかはわからない。誰とケンカしているかもわからない。相手の姿は画面に登場しないのだ。ロバは常に正面向きで、読者に向かってセリフをぶつけてくる。

相手のセリフは書かれていない。しかし何か言っているし、何を言っているかもある程度推測できるような作りになっている。たとえば冒頭部分ならこの前に「あやまれよ」「いやだ!」のやりとりがあったと想像できるだろう。

もう一人のキャラが存在している。しかし姿は描かないし、セリフも書かない。これがやってみたかったことの一つだ。絵にも文章にも書かず、キャラに存在感を与える。

絵も言葉も限定するもので、絵に描いてしまったらその姿以外ではありえなくなるし、言葉にしてしまったらそのセリフ以外ではありえなくなる。
絵も言葉も直接は使わず、読者の想像にゆだねられたら面白いのではないか。

我ながら妙なことを考えると思うが、このころは実験的なことが大好きだったのだ。実験が入っているのにさらっと自然に読めてしまう絵本が理想だった。

実験といえば、この絵本は画面構成も一風変わっている。
絵本の画面は多くの場合、左右に水平に広がる空間として使われるが、そうではなく奥行き方向に使ってみようというのが最初のアイディアだった。
カメラ位置を固定して、何かがだんだんと離れていき(小さくなり)、だんだんと戻ってくる(大きくなる)構成を思いついた。

   

それに合うストーリーは何かと考えたら、ケンカと仲直りが浮かんだ。ケンカと仲直りが浮かぶと、当事者の片方は画面の手前にいると考え、描かないで表現できることに気がついた。
「もうともだちじゃない」と言ったロバはだんだん離れていく。仲直りできそうになるとだんだん近づいてくる。心の距離と実際の距離が重なっている。描かれないもう一人のキャラと読者の位置も重なっている。
誰しも経験のある、仲直りしたいけれどあやまれない気持ちがテーマになった。

『ながいながいへびのはなし』ではストーリーを表現するために画面のアイデアが出てきたが、こちらはまず画面のアイデアがあり、それに合うストーリーをあとから考えた。
順序はどちらでもいのだ。ひらめきから連想ゲームのように広げていく。うまくいくときはいろんな要素が初めから計画されていたもののようにピタリとはまるもので、なかなかの快感である。

絵のカワシマミワコさんは『ぼくはあやまらないぞ』を作る以前からの友人で、二人でかなり完成度の高いダミーを作ってから出版社に持込んだ。
愛育社のI社長に見ていただいたら、即決だった。10分後には刊行時期や部数、定価の話などしていた。小さめの会社で社長さんと直接話すとそういうことがある。社長には相談すべき上司などいないからだ。
自分の意志だけで決められるとはなんと素晴らしいことだろう。たとえそれがすべての責任をとることと表裏一体であるにしても。

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「絵本作家の仕事 by 風木一人」は毎週月曜更新予定です。

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