絵本のマジック。言葉は嘘をつけるが絵は嘘をつけない。『こくばんくまさん つきへいく』(マーサ・アレクサンダー作 風木一人訳 ほるぷ出版)

マーサ・アレクサンダーは1920年に生まれ、2006年に亡くなっている。
アメリカ絵本の巨人たちの生まれた年を調べてみた。

1893年 ワンダ・ガアグ 『100まんびきのねこ』
1909年 バージニア・リー・バートン 『ちいさいおうち』
1910年 マーガレット・ワイズ・ブラウン 『おやすみなさいおつきさま』
1928年 モーリス・センダック 『かいじゅうたちのいるところ』
1929年 エリックカール 『はらぺこあおむし』

マーサ・アレクサンダーは、バートン、ワイズ・ブラウンとセンダック、エリック・カールの間の世代ということになる。
児童書の世界に入ったのは45歳と遅かったが、すぐに人気作家となり、生涯に70冊近い作品を残した。うち邦訳はたぶん6冊で、日本での認知度はやや低い。一番知られているのは『ねえさんといもうと』だろうか。
作家としての特長はなんといっても、子どもの心を深く理解していることにつきる。創作の源泉を「すべて子どもたちから借りてきた」と語る彼女の絵本は、まだ現実と空想が画然と区別されない幼児の心の世界を、やわらかな絵とシンプルなテキストで丁寧に描きだす。
45歳のときすでに孫がいたマーサは、子ども2人、孫8人、ひ孫10人に恵まれて、人生のほとんどを幼い子どもたちと生きた人だった。

絵本『こくばんくまさん つきへいく』マーサアレクサンダー 風木一人 ほるぷ出版

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『こくばんくまさん つきへいく』は30年以上にわたり6冊刊行された代表作「Blackboard Bear」シリーズ中の1冊。
「Blackboard Bear」シリーズは、主人公の内面の欲求から生まれてきた不思議なくまの存在をテコに、幼児期だれもが抱くような感情をいきいきと表現したもので、大人が期待する子ども像ではなく、ありのままの子どもの普遍的内面を描いたことにより、40年たった今も子どもたちにとって完全にリアルな作品となっている。
シリーズを通して、地の文は用いられず、テキストはセリフのみで構成されている。これは絵がそれだけでストーリーを語る充分な力を持っているからで、おかげで読者は想像する余地をたっぷりと与えられ、自分の力で絵を読みとく喜びを満喫できる。
くまのセリフが書かれないのも、マーサ・アレクサンダーらしい見事なしかけで、子どもたちがお気に入りのぬいぐるみや人形と一人二役で遊ぶ感覚を絵本に持ちこむと同時に、くまのセリフを想像しようとすることによって、読者がより深く作品世界に入りこめるようになっている。
象徴的なシーンを紹介しよう。

絵本『こくばんくまさん つきへいく』マーサ・アレクサンダー作 風木一人訳 ほるぷ出版

絵本『こくばんくまさん つきへいく』より

セリフはこうだ。
「くま、ひとりでも つきに いってみるかい?
ぼくと いっしょでなくても だいじょうぶ?」
アンソニーがくまを思いやっている。しかし絵はどうか。大きなくまが小さなアンソニーを抱っこしている。抱っこされている方が抱っこしている方を心配しているのである!
作者の力量がひしひしと伝わる名シーンだ。
言葉は嘘をつける。絵は嘘をつけない。泣きそうな顔で「悔しくなんかない!」と言っていたらそれは悔しいのである。「このやろう!」と言いながら笑っていたらそれは怒っていないのである。
言葉と絵の特性を知り、適切に使うことで、絵本のマジックが生まれる。

アンソニーは月へ行きたいと言っていたのに結局行かない。納得できない読者もいるかもしれないが、これにはちゃんと理由があるし、よく読めばわかるように作られている。
よく読まないとわからない。これがいい。
絵本は一発芸ではないのである。取扱説明書でもない。交通標語でもないし啓発ポスターでもない。
じっくり読みこむ読者にだけ開かれる特別なドアとその奥の部屋がある。そういう絵本がもっとあってほしい。

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「絵本作家の仕事 by 風木一人」は毎週月曜更新予定です。
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