宗教と集い(1)

人々が集うということは、宗教のひとつの特徴と言えるだろう(宗教だけの特徴ではないが)。じっさいに、宗教活動、宗教行事と言われるものには、たくさんの人が集まって行なうものが多い。
聖職者の行なう(聖職者自身のための)活動はよく知らないので、ここではとりあげないが、聖職者でない一般の信者が行なう宗教的な活動に話をしぼっても、仏教の年忌法要は、親族や関係者が集まって執り行うのが普通であるし、真面目なキリスト教徒は日曜日に教会に集まって祈る。
祭に至っては、村中、町中総出で大騒ぎをするのが、洋の東西、宗教宗派を問わず通例となっている。

どの宗教でも、信者がばらばらに活動するということは稀である。必ず信徒の組織があり、聖職者の組織があり、信者が集う場としての寺院、教会などがある。なぜだろうか。

仏壇に線香を上げ、手を合わせることは、一人で出来ることだ。少し努力すれば、お経の一つくらいは読めるようになるだろう。にもかかわらず、法要にはお坊さんを呼び、親族関係者が集まって祈るというのはどういうことなのだろうか。
聖書をそらんじ、家で毎日神に祈っている敬虔なキリスト教徒が、なぜわざわざ日曜日ごとに教会に行かなければならないのだろうか。

こう考えると、「集う」ということ自体に、重要な意味があるのではないかと思えてくる。
(つづく)


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