第3回「孝弟は其れ仁の本たるか」小さなことからコツコツと?

有子曰く、其の人と為り(なり)や孝弟にして、上(かみ)を犯す(おかす)を好む者は鮮し(すくなし)。上を犯すを好まずして、乱を作す(なす)を好む者は、未だ之れ有らざるなり。君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず。孝弟は其れ仁の本たるか (学而編二)

前回の第4節から少し戻ってしまったが、気にしないでいただきたい。
少しわかりにくいので、加地伸行先生の訳(講談社文庫)を引用する。

「有先生の教え。その人柄が、父母に尽くし、兄などの年長者を敬うような場合、反逆を好むというような人間は少ない。反逆を好まない人柄であって、にもかかわらず反乱をしたがるというようなことは、絶対にない。教養人は<人間としての根本>の修養に努力する。なぜなら、根本が確立すると、生き方(道)がわかるからだ。父母に尽くし目上を敬うこと、すなわち〈孝弟〉が、<仁>すなわち人間愛という生き方の根本なのだ。」
(「犯」は、別の章では「面と向かって諌める」という意味でも使われているから、「逆らう」くらいの訳が適当かもしれない。)

有子すなわち有若は、孔子晩年の弟子だそうだ。弟子の言葉にもかかわらず、この言葉を冒頭の第2節に持ってきた編者のセンスはなかなかのものだと思う。(学而編の編集を行ったのが有若の弟子たちだったのではないかという説もあるが、そうだとしても、である。)
なぜなら、この節には、孔子の理論の様式、儒学の論理の組み立て方が凝縮されているからだ。「孝弟」という家庭内の身近な道徳を敷衍することによって、国政のあり方までを論じる。これが孔子の思考法である。

孔子は言うまでもなく東洋の生んだ偉大な思想家であるが、残念ながら西洋のイエスさんとかインドのゴータマさんのようなきらびやかな天才とは少し違うように見える。
天才ならざる孔子が、それでも世のため人のため天命のために、くそ真面目に考え続け、脳みそを頭蓋骨ごと絞って編み出したのが、この理論の組み立て方なのではないだろうか。
そう考えると、やっぱり君子はつらいのである。