第10回「君子は周して比せず」 いつも公平でなければならない・・・本当に?

「子曰く 君子は周して比せず。小人は比して周せず」 (為政編十四)

君子は、公平であって、党派、仲間で贔屓をしない。小人(小人物)は、仲間贔屓をして公平でない。
どの道徳の教科書にも書いてありそうな、当たり前のことである。
だが、その一方で孔子は、「父母に事(つか)えては、幾諌(きかん)す。志の従わざるを見ては、又敬して違わず」(里仁十八)と言っている。
親から贔屓を頼まれたら、一応穏やかに諌めるにしても、「どうしても」と言われたら断れないわけだ。
また、「朋友には切切偲偲」(友人には心を込めて付き合う)(子路二八)とも言っている。どこまでが「切切偲偲」で、どこからが「比」(仲間贔屓)なのか、個々の具体的なケースについて考えだすと、極めて難しいところだろう。

周(公平性)と孝(親への孝行)、周と信(友人への真心)のような、二つの道徳的要請が衝突することはよくあることである。
夏目漱石も言った通り、「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される」である。だからと言って、「人でなしの国」に行くわけにもいかない。
そのような時に重要になるのが、「中庸」である。

中庸とは、単純に「二者のあいだを取る」と言うことではなかろう。
相反する二つの道徳的要請の間に身を置き、いずれの要請も無視することなく、その矛盾に耐え続けながら、現実的に最善の判断を下して行くこと、そして、自分の判断が誤りであった場合にはその事実を受け入れること。
それができる人が君子、ということであろう。
いやはや、君子は辛いのである。