なにわぶし論語論 第18回「仁なるところに里(お)れば美を為さん」再考

「子曰く、仁なるところに里(お)れば美を為さん。択んで仁に処(お)らざれば、焉(いずく)んぞ知たるを得ん」 (里仁 一)

前回の続き。「仁なるところ」と言うのは、この場合「気風の良いところ」、「良い性質を持った人たちが集まるところ」と言うことで、地理的な土地というよりは、そこの人間集団という意味であろう。

前回、「仁なるところ」を他の言葉で置き換えると、いろいろバリエーションが効くと書いた。たとえば、「クリエイティブな集団におれば、クリエイティブなことをなさん」とか、「伝統を守る集団におれば、伝統を守らん」とか。
そのほか、情熱的な集団に入れば情熱的な生き方がしやすいだろうし、悟りを求める集団に入れば、悟りを求めやすかろう。「美」すなわち良き行い、良き生き方というのは、一つではない。
自分が「こう言う生き方をしたい」と思ったら、それにふさわしい人たちと付き合いなさい、と言うのが、本節の正統的な解釈であろう。

だが、逆もまた真なりではないだろうか。人間、誰も「ウマが合う」人たちというのがいる。この人たちといると落ち着くなあ、こいつらといると楽しいなあ、という集団があったら、その集団で共有される「美」を追求するのも、良い生き方なのではないだろうか。
何かのきっかけで「政治家になろう」と思い立っても、自己主張の強い政治家の集団についていけず、真面目だけが取り柄の地味でおとなしい友達ばかり集まって来る人は、やはり政治家を目指すのはやめたほうが良いのではないだろうか。

自分の理想の「美」を目指すために付き合う集団を選ぶか。自分が付き合って落ち着く人たちの集団の共有する「美」に従うか。
どちらが良いのかよくわからないが、どちらかというと前者は若者に、後者は老人に似合うような気がする。もっとも、老成した若者や、「心は青年」という老人もいるから、なんとも言えないのだが。
どちらの生き方を選ぶにしても、結局は自分の責任。選択を間違ったとしても人のせいにはできない。君子は辛いのである。

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