電車 居眠り 夢うつつ 第6回「やすらぎの郷」最終回 夫婦とは?仲間とは?

倉本聰脚本の連続テレビドラマ「やすらぎの里」の放送が終了した。
今回は、このドラマの、特に最終回の内容について書くので、これからDVDなどで見ようと思われている方は、読まないでいただきたい。

まずドラマの設定をまとめておく。テレビ業界で功績のあった老人達の為に、さる金持ちが創設した老人ホーム「やすらぎの郷」。ここで暮らす老人たちをめぐる物語だ。
主人公は菊村栄(石坂浩二)。かつての有名脚本家である。途中、アザミという脚本家志望の女子大生が登場する。彼女は菊村の大ファンであり、菊村は彼女の脚本を添削することになる。アザミの思わせぶりな態度もあり、菊村は彼女にほのかな恋心を抱く。

最終回。菊村はアザミとともに昔馴染みの温泉宿に泊まる。一騒動あって、アザミは菊村を脚本家として尊敬していても男としては見ておらず、菊村の恋が単なる独りよがりだったことが明らかになる。
その晩、アザミが帰ったあと、菊村はマッサージ師からマッサージを受けながら眠りにつく。夢の中で菊村は自宅のダイニングキッチンにいる。妻が洗い物をしながら、彼を笑う。笑われても仕方がない。自分の孫ほどの歳のアザミとの恋なんて、とんだお笑い種だ。よし、事の顛末を初めから話してやろう。妻に向かって自分の無様な物語を語ろうとしたところで目が覚め、妻は何年も前に死んでいることに気がつく。
面白いこと、腹の立つこと、悲しいこと。そんな全てを話す相手が、人間には必要だ。自分にとっては、それが妻だった。菊村はそう独白し、涙を流す。
一晩明け、菊村は、むしろ晴れやかな表情で、自分の仲間達の待つやすらぎの郷へ向けて帰っていく。

さて、これ以上の解説は無粋かと思いつつ、少しだけ書かせていただきたい。
夫婦とは、結婚とはなんのためにあるのだろうか。ヒトを生物として見れば、子供を作り育てるのが大きな目的である。だが、心に注目すれば、感情の共有、共感ということが大きいのではないだろうか。
ヒトは、複雑かつ繊細な感情と、それを伝達する言語を持つ動物だ。感情を伝達する能力があるだけでなく(あるいは能力があるから?)、感情を伝達し、理解されたいという強烈な欲求がある。
菊村が認めたように、ヒトは誰でも、自分の感じた感情を伝え、共有する相手が必要なのだ。先に、生物としてのヒトの大きな目的は、子作り・子育てだと書いたが、これも心の面から見れば、セックスの喜びや子育ての喜び、苦しみといった感情を共有する行為とも言える。

では、未婚者や、配偶者に先立たれた高齢者はどうすれば良いのだろうか。
ヒトは夫婦(つがい)を作るだけでなく、他の多くのヒトと群れを作る。(つがいも作り、群れも作る動物というのは珍しいのではないだろうか。)そして、つがいの持つ心理的な機能は、かなりの程度、群れが代償することができるのではないか。
ドラマの中の菊村は、妻の死という現実に直面した翌日、晴れやかな表情でやすらぎの郷の仲間達の元へ帰っていった。高齢化が進み、老人ホームなどの施設で暮らす老人が増えている現在、施設の、身体介護や生活補助の機能だけでなく、感情を共有する仲間、共同体としての機能がより重要になると、倉本は言いたいのではなかろうか。そういう意味では、同業者の集まる老人ホームというのは、なかなか良いアイディアかもしれない。

さらに余談だが、よく、妻を亡くした夫はすぐ死ぬが、夫を亡くした妻は長生きするという。これも、女性の方が群れを作って感情を共有する能力に長けているから、と考えても良いのではないだろうか。


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