電車 居眠り 夢うつつ 第11回「和歌狂歌 ツイッターとぞなりにける インスタグラムは 俳句なるらむ」

言いたいことは全てタイトルに書いてしまったので、今回はこれで終わりに、、、というわけにもいかないだろう。

短文投稿サイト、ツイッターが現れたのは何年のことだったろう。オバマ大統領も投稿したことがニュースになったから、10年くらい前だろうか(*)。
私は縁がなくて、とうとう今まで一度も見たことすらないのだが、あえて文字数を少なくして、誰もが思いついたことを気軽に投稿できるようにしたのが秀逸なアイディアだったと思う。インターネットとモバイル端末の組み合わせの利点をフルに生かした、21世紀デジタル社会の大発明の一つと言って良いだろう。

これが短歌や狂歌と似ていると言ったら、おかしいだろうか。使っている技術や形式は異なるが、発想としてはよく似ていると思う。
少ない文字数で、思ったことを素早く表現する。書く内容はなんでも良い。誰でも書けるし、誰でも読める。社会に対する切実な不満を書いても良いし(「保育園落ちた、日本死ね」は、去年大ヒットした)、ちょっとユーモラスなものであっても良い(少し古いが「枝野寝ろ!」もツイッター発ではなかったか)。
大昔なら、時事性のある狂歌を紙切れに書きつけて人通りの多い橋の欄干とかに貼り付けたのだろう。「白川の清きに魚も住みかねて 元の田沼の濁り恋しき」なんて歌が、人口に膾炙した末に、21世紀まで伝わっているのだから大したものである。
現代の情報のトラフィック(交通)は、橋ではなくインターネット回線を渡って川も海も越えて行く。さて、22世紀まで残るツイートはあるか?(**)

ツイッターを見たことがない私も、どういうわけかインスタグラムは見たことがある。あの、ずらずらと写真ばかりを並べている画面には初めは面食らったが、生活の中で、あるいは旅先で見たものを素早く切り取って表現し、人に伝えるという意味では、写真は俳句とよく似ている。
まあ、「切り取る」と「デフォルメする」を合わせれば、すべての芸術が含まれてしまうだろうが、視覚的対象のある瞬間を簡潔に写し取るという点で、この二つは他の芸術と区別されるのではないか。また、絵画と違って素人にも手が出しやすいというのも共通点だ。
俳句好きが、出先で俳句を句帳に書き込み、句会で発表するように、インスタ好きは、スマホで撮影して写真をweb上にアップする。
松尾芭蕉などは、日本全国にフォロワーがいたようだが、インターネットはおろか電信さえない時代、彼の句はどうやって全国に広がったのだろうか。人力情報通信技術、侮るべからずである。

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(*)ウィキペディアによれば、2006年に開始されたそうだから、10年くらい前というのは、当たらずとも遠からず。

(**)22世紀の日本史の教科書に、平成時代の世相を表すツイートとして「保育園落ちた・・・」が載ったらいやだなあ。

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