電車 居眠り 夢うつつ 第12回 仮題「螺旋」のためのメモ

これは時間についての文章である。
正確に言えば、時間についての文章を書くためのメモである。
これはとても主観的な時間についてのメモである。
物理学や数学とは関係がない。ビッグバンも、原子の崩壊も、微分も、積分も。
これは私が感じる時間についての文章である。あなたが感じる時間とは同じかもしれないし、違うかもしれない。似ているといいな、と思う。
天文学と生物学は少し関係ある。日が昇り、動物が目覚め、日が沈み、動物が眠る。桜が咲き、葉が茂り、落葉し、霜が降りる。
地動説は関係ない。天動説の方がしっくりくる。
時間は螺旋である。あなたはもう知ってるかもしれないけど。世間では有名かもしれないけど。
目を覚まし、ベッドから抜け出し、トーストを食べ、ネクタイを締め、出勤し、メールを読み、会議をし、昼食を食べ、書類を作り、帰宅し、夕食を食べ、テレビを見て、眠る。目を覚ますとまた別の1日が始まる。
時間は螺旋である。いや、間違ってるかもしれないけど。いい大人がそんなバカなことを言うと笑われるかもしれないけど。
今日も同じように目を覚まし、今日も同じような1日を過ごし、眠りにつく。でも昨日とは少し違っている。一晩の空襲で都市が丸焼けになるのと比べれば、ささやかな変化だけど、昨日と今日は違う。
That’s one small step for a man…
昨日と今日は違う。昨日は木曜日で、今日は金曜日だ。金曜の晩にはビールを飲む。明日は土曜日。週末だ。
サザエさんの笑い声と共に週末はフェイドアウトし、私は眠りにつく。目を覚ましたときは、また月曜日だ。ベッドから抜け出し、トーストを食べ、ネクタイを締め、出勤する。
時間は螺旋である。と、偉そうに言うが、ワープロなしでは螺旋の「螺」の字だって書けはしないのだ。
また1週間が始まる。先週と今週は少し違う。直立歩行のはじまりと比べれば小さな変化かもしれないけど、先週と今週は少し違う。
That’s one small step for a man…
1年は1月に始まって、12月に終わるという。しかしまた4月に始まって3月に終わるともいう。あなたの1年は、1月始まりだろうか。それとも4月始まりだろうか。
時間は螺旋である。1周365日かけて4つの季節を巡りながら、去年と今年はほんの少し違う。恐竜の絶滅と比べれば、ささやかな変化かもしれないけど、去年と今年は違う。
That’s one small step for a man…
子供たちの1年は、大人たちの1年とは随分違って見える。子供たちは、去年から今年へ、今年から来年へと、一直線に進んでいるように見える。それも螺旋なのだが、回転の直径に比べて、前進する距離が長すぎるのだ。子供の螺旋は、周囲の大人たちの螺旋と一時的に重なるというよりは、大人たちの螺旋の中を、一直線に飛んでいくようだ。
one giant leap for mankind.
しかしそんな子供たちも、結局は大人になっていく。一直線にしか見えなかったその歩みは前進速度を次第に緩め、すこしずつ螺旋の形を明らかにする。二本の螺旋が近づき、並走する。そして彼らは彼らの子供を作る。彼らの子供達は、生を受けるとともに、以前の彼らのように一直線に未来に向かって進みはじめる。親となった彼らは彼らの子供達の直線的なうごきに当惑する。彼らは我々とよく似ている。だが、彼らは我々と少し違う。RNAの出現と比べれば、ほんの些細な変化かもしれないけど、彼らは我々と少し違う。
私の螺旋は、いつかは途切れる。音もなく。その時までは、ほかの多くの螺旋と、時々少しだけ重なり、絡み合いながら、少しずつ少しずつ伸びていく。ときに曲率を変え、ときにピッチを変え。ときには真円に見えるかもしれない。ときには直線に見えるかもしれない。しかしこれは螺旋なのだ。知っている人や、知らない人の螺旋と絡み合いながら伸びる、一本の螺旋なのだ。
私の螺旋は、いつかは途切れる。私はその断端から静かに離れ、ズームアウトしながら自分自身の螺旋を見る。細かな螺旋がねじれ、進みながら大きな螺旋を巻き、作り上げる2次構造。ズームアウト。その螺旋がさらにねじれ、描き出す3次構造。そして私の螺旋に近づき、交差し、重なり、離れていく何千、何万の螺旋たち。ズームアウト。もはや私の螺旋は一本の細くて短い繊維だ。他の何千、何万の繊維たちと縒り合わされ、一本の糸へと紡がれる繊維だ。ズームアウト。もう私の繊維は見えない。私を呑み込んでいるはずの白い糸が、螺旋を巻いているのが見えるだけだ。

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