なにわぶし論語論第41回「危邦には入らず乱邦には居らず」

子曰く、篤(あつ)く信じて学を好み、死を守りて道を善(よ)くし、危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道(みち)有らば則(すなわ)ち見(あら)われ、道無くんば則ち隠る。邦に道有りて、貧にして且つ賤しきは恥なり。国に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり。(泰伯 十三)

――孔子の言葉。篤く正しい道を信じて学ぶことを好み、たとえ死に至ろうとも節操を守って正しい道を貫き、乱れようとしている国には入らず、今いる国が乱れた時には立ち去る。国政(国王)が道理に従っているときは、表に出て力を発揮し、道理に従っていなければ、さっさと引退する。国(王)が道理に従っている時に、(地位がなくて)貧しいのは恥である。国が道理に外れている時に、(地位を得て)富貴なのは恥である。――

孔子の思想の一つの特徴をよく表した節だと思う。文章の流れからして、「天下」と「国」はいずれも、国政の中枢、王や世襲の重臣たちのことであろう。「危邦には入らず、乱邦には居らず」。良き官吏および官吏の育成者としての孔子は、「危邦」や「乱邦」の悪い王を倒して自分が取って代わろうという革命思想のようなものはかけらも持っていないのだ。
孔子は封建制の人であり、封建制度の中での良き官吏のあり方を模索していたのだ。彼にとって、身分は絶対であった。王というのは天命を受けた人であり、その王を廃することができるのは、天だけである。あるいは、天の命を受けた他国の王か。
官吏である士がするべきことは、王を補佐し、助言忠告し、実行部隊として働くことであって、王が忠告に耳も貸さず、悪政を行う場合は、職を辞して立ち去るしかない。悪い王は、どこかの良い王によって排除してもらうしかないのだ(*1)。

封建国家と民主国家では制度はずいぶん違うようだが、実はそれほど違わないのかもしれない。封建国家、少なくとも孔子の考える封建国家では、為政者である王は主権者である天によって選ばれる。民主国家では、為政者(政治家)は主権者である国民によって選ばれる(*2)。いずれの場合も、官吏(官僚)の仕事は、為政者に助言し、為政者の決定に従って実務を行うことである。
為政者が良い政治を行なっている時に活躍の場を得られないのは官僚として能力がないということだから恥であり、為政者が悪い政治を行なっている時にそれに同調して権勢を得るのは不道徳であって恥である。

なお、これはあくまで一般論であり、特定の人物、団体、事件頭には一切関係ありません。

*1 天の命が変わった時には家臣が王に反逆しても良いとはっきり言ったのは、たしか孟子だったと思うが、要確認。
*2 経済学の方では「神の見えざる手」という言い方をするが、政治の世界に当てはめると、選挙に神(天)の見えざる手が働くと言えるのではないだろうか。市場の「神の見えざる手」が不完全なように、選挙の「神の見えざる手」も不完全ではあるが。

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