なにわぶし論語論第47回「子匡に畏る」

子 匡に畏る。曰く、文王既に没したれども、文、ここに在らずや。天の将に之の文を喪ぼさんとするや、後死者は斯文に与るを得ず。天の未だ斯文を喪ぼさざるや、匡人 其れ予を如何せん、と。(子罕 五)

――――孔子は、匡というところで絶体絶命の危機に陥った。その時の孔子の言葉。「(周文明を興した)文王は既に亡くなられているが、文王から伝わる文化(儒教文化、道徳)は、ここ(自分)にあるではないか。天がもし(自分とともに)この文化を喪ぼそうとするならば、後世の人々はこの文化に与ることができない。天がまだこの文化を喪ぼさないならば、匡の連中が、私に対して何ができようか。」――――

これは孔子が、魯国での地位を捨て、新たな士官先を探して弟子たちと共に諸国を旅していた時の話である。
匡という町を通りかかったところ、武装した匡人たちに取り囲まれた。孔子の容貌が、以前この街で強盗殺人などを働いた男に似ているというので、復讐をしようと集まってきたのである。その絶体絶命の状況で、弟子たちに言った言葉である。
ちなみに「斯文」というのは、儒教用語で(儒教の)学問、道徳を指す言葉。私は知らなかったが、国語辞典にも載っていた。当然儒教の開祖である孔子とその弟子たちにとっては、斯文=全中華文明、文化という感覚であったろう。

前々回は、10世代先のことまで考える孔子の時間感覚、時代感覚について書いたが、今回のエピソードは、また別な意味でスケールが大きい。自分が死んだら、周王朝以来の文化を後世に伝える者がいなくなってしまう。だから、天がこの文化を滅ぼそうとしない限り、自分は殺されないというのだ。
孔子が周の文化を理想とし、周公旦を夢にまで見た(*)というのは有名な話だが、今回の発言は、いってみれば、全中華文明を自分一人がその双肩に担っているというわけだ。
なんという自負心。いや、信仰心というべきか。天が自分を文化の担い手にしたと言うのである。
しかも、敵兵に囲まれ、絶体絶命の状態になりながらこれを言ったというところがすごい。まさに孔子、一世一代の大見得である。

「俺の背中に咲いた中華文明、散らせるもんなら散らしてみやがれっ」

いよっ、孔子! 日本一!

(*)正確には、歳をとって周公を夢に見なくなったと嘆いたというのが有名なエピソードである(述而 五)。

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