なにわぶし論語論第48回「大宰、子貢に問うて曰く」

大宰(たいさい)、子貢に問うて曰く、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なるや、と。子貢曰く、固(もと)より天、これに将聖なること、又多能なるを縦(ゆる)せり。子、これを聞きて曰く、大宰我(われ)を知れり。吾(われ)少(わか)きとき賤し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子は多ならんや。多ならず、と。(子罕 六)

――――大宰(首相のような地位の人)が子貢に尋ねた。「先生(孔子)は聖人でしょうか。どうしてあのように様々な能力があるのでしょう。」子貢は答えた。「天は孔子に、生まれつき大聖であること、そのうえ多能多芸であることを許したのです。」
孔子がこの話を聞いて言った。「大宰は私のことをよく知っておられる。私は若い頃貧しかった。だから(生活のためにいろいろな仕事をして)様々な俗事の能力が身についたのだ。君子の条件は多能多芸であることか。いや、そうではない。」――――

孔子は幼少時に父を亡くし、その後は母が一人で彼を育てた。その母も、孔子が十七の時に他界した。したがって孔子の少年時代は常に貧しく、生活のために様々な仕事をしなければならなかった。そのために、彼はいろいろな仕事の技術を身につけたようである。

そんなことは知らない弟子の子貢は、大宰から「なぜ孔子はあんなに多能なのだ」と問われて、得意げに「孔先生は天から選ばれた人だから、なんでもできるのです」と答えている。
彼にとっては、孔子はスーパースター、生まれつきなんでもできる天才、選ばれた人なのである。大宰というエラい人に対して、自分の師匠のすごさを宣伝しておきたいという気持ちもあったかもしれない。
ところが、その話を聞いた孔子はため息をついた。自分の若く貧しかった頃を知る大宰に向かって、何も知らない弟子が、つまらない自慢話をしてくれた。

多能多芸であること自体は良いこと、自慢しないまでも誇りに思って良いことであろう。だが、孔子はいつも、人格の高潔さを重視する一方で、個別的具体的な仕事の技術を低く見る傾向がある。
「君子は多ならず」。確かに、人格と才能は別物だし、孔子としては、政治のリーダーたり得る人格者を育てたいという気持ちが強かったのだろう。とはいうものの、具体的な技術の訓練や学習を無視して、人格の涵養などできるものだろうか。それこそ「頭でっかち」になってしまわないだろうかと、疑問になる。

第46回(益する者の三友あり)では、孔子がおそらく話術に長けていたこと、だからこそ、弟子たちが自分の話術ばかり真似しないように、弁舌を低く見たのではないかということを書いた。同様に孔子は、弟子たちが自分の小器用なところを真似ないように、技術才能を低く見る発言を敢えてしたとも考えられる。
だが、別のことも考えられないだろうか。孔子にとっては不遇な少年時代の辛酸が、消えないコンプレックスとなっており、その頃身につけたさまざまな仕事の技術も、そのコンプレックスの一部となっていたのかもしれない。だから、技術というものを素直に評価できなかったのではないだろうか。あくまで想像であるが。

by みやち

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