なにわぶし論語論第49回「之を沽らんか、之を沽らんか」

子貢曰く、斯(ここ)に美玉有らば、匵(とく)につつみて諸(これ)を蔵(おさ)めんか、善賈(ぜんこ)を求めて之(これ)を沽(う)らんか、と。子曰く、之を沽らんか、之を沽らんか。我は賈を待つ者なり、と。(子罕 十三)

――――子貢が尋ねた。「ここに美しい宝石があるとしましょう。それを箱に入れて蔵にしまうべきでしょうか。それとも、よい買い手を探して売るべきでしょうか。」 孔子が答えた。「売ろう、売ろう。私は買い手を待っている者だ。」――――

説明するまでもなく、「美玉」というのは孔子のこと、「善賈」は彼を召抱えてくれる国王のことである。非常にわかりやすい例え話だ。
師と弟子がこの会話を交わしたところを想像すると、ちょっと奇妙である。いったいどういう状況でこのような会話が交わされたのであろうか。
子貢は孔子の弟子の中でも「聡明で外交手腕の巧みな雄弁家」として知られていたそうである。また、商売の才能もあり、孔子から「命を受けずして貨殖す。億れば即ち度々中る」(先進 十八)と言われた。また孔子は、その才能を「瑚璉なり」と評している(第27回参照)。
そのような人物だから、ひょっとしたらどこかで人脈を作り、孔子の売り込みをしようとしたのかもしれない。だが、勝手にそんなことをして、孔子がヘソを曲げては元も子もない。「はしたないことをするな」などと怒られるだけなら我慢もするが、せっかく作ったチャンスを本人に潰されては大変だ。そこで、実際に行動を起こす前にまず、それとなく孔子の意向を確かめたのではないだろうか。(わかりやすすぎて「それとなく」とは言えない気もするが。)
あくまで想像だが、そのように考えれば、つじつまが合う。というより、そういう状況だと考えなければ、二人がこんな芝居がかった会話を交わした意味がわからない。

さて、子貢の斡旋は成功したのだろうか。もし子貢の斡旋のおかげで孔子が魯国で登用されたということならば、勲章ものの成果である。だが、この会話が交わされたのが、孔子が魯国での宰相代理の地位を捨てて諸国を放浪していた時期であったのなら、残念ながら成功しなかったということになる。この辺りの時系列は、どうなっているのだろうか。興味は尽きない。

(by みやち)

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