なにわぶし論語論第52回「与に学ぶ可きも、未だ与に道に適く可からず」

子曰く、与(とも)に学ぶ可(べ)きも、未だ与に道に適(ゆ)く可からず。与に道に適く可きも、未だ与に立つ可からず。与に立つ可きも、未だ与に権(はか)る可からず、と。唐棣(とうてい)の花、偏(へん)として其(そ)れ反せり。豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや。室(しつ)是れ遠し、とあり。子曰く、未だ之(これ)を思わざるか。何の遠きことか、之有らん、と。(子罕 三十)

――――孔子の言葉。ある人と共に学ぶことができたとしても、その人と同じ道を進むことができるとは限らない。同じ道を進むことができたとしても、同じ立場で世に出ることができるとは限らない。同じ立場で世に出ることができたとしても、さまざまな事態に対して、一致した判断が下せるとは限らない。(古い詩の言葉に)「唐棣(シデザクラ)の花は咲いたが、花弁が互いに背を向けている。あなたを思わないのではない。家が遠い(ので会えない)のだ」とあるが、まだ相手を思っていないとでも言うのだろうか。(相手を思う気持ちがあれば)遠いなどということがあるものか。――――

例えば学生時代に、同じクラスで学んだとしても、考え方が同じとは限らない。中には考え方の一致する友達もいるだろう。非常に仲が良く、いつも一緒に酒を飲んでは理想を語り明かすような友達がいたとしよう。そのような友達と、どれだけ意気投合して、理想を共有したとしても、就職して社会に出るときには、別々の道を選ぶのが普通だ。相手の選択に疑問を覚えることもあるかもしれない。それっきり疎遠になってしまうことも、ままあることだ。同じ志を持って、同じ仕事についた仲間であっても、常に同じ判断を下すわけではない。意見の相違から、疎遠になってしまうこともある。

「唐棣(とうてい)の花」以下は、別の章(節)であるとする説もある。「唐棣の花」云々は、古い恋の詩の引用であり、たしかに、前段とは繋がりが悪いようにも見える。だが、ここではあくまでひとまとまりの文章として解釈する。
「豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや」の「思う」とは、元の詩ではもちろん遠く離れた恋人を思うことだろうが、孔子はこれを、さまざまな理由で袂を分かった昔の同志に対する友情に重ねているのではないだろうか。
同じ理想を持って一緒に仕事に取り組んだ仲間と、見解の相違から対立してしまう。そのまま別の派閥に分かれてしまうということもあったかもしれない。
孔子の場合、魯国の政界を去ってからは、流浪の生活に入っており、当時の友人達とは、政治的にばかりではなく物理的にも遠く離れてしまったわけだ。
だが、互いの友情が残っているなら「何の遠きことか、之有らん」。
これは、孔子が自分自身に向かって言い聞かせている言葉ではないだろうか。

(by みやち)

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