なにわぶし論語論第57回「聞かば斯ち諸れを行わんか」

子路問う、聞かば斯(すなわ)ち諸(こ)れを行わんか、と。子曰く、父兄在(いま)す有り。之(これ)を如何ぞ、其(そ)れ聞かば斯ち諸れを行わんや、と。冉有(ぜんゆう)問う。聞かば斯ち諸れを行わんか、と。子曰く、聞かば斯ち諸れを行え、と。公西華(こうせいか)曰く、由(ゆう)や、聞かば斯ち諸れを行わんかと問うに、子曰く、父兄在す有り、と。求(きゅう)や、聞かば斯ち諸れを行わんかと問うに、子曰く、聞かば斯ち諸れを行え、と。赤(せき)や惑えり。敢えて問う、と。子曰く、求や退く。故に之を進めり。由や人を兼ぬ。故に之を退けたり、と。(先進 二十一)

――――子路が孔子に質問した。「新しいことを学んだら、すぐに取り入れて実行すべきでしょうか」。先生が言われた。「父上や兄上がいらっしゃる。彼らの意見はどうするのだ。他所で学んだことを(父兄の意見も聞かずに)すぐに実行してよいものか」。
(また別の時に)冉有が質問した。「新しいことを学んだら、すぐに取り入れて実行すべきでしょうか」。先生が言われた。「すぐに実行しなさい」。
(両方をたまたま聞いていた)公西華が孔子に言った。「由君(子路のこと)が『学んだことをすぐに実行すべきですか』と質問したとき、先生は『父上や兄上がいるだろう(だから、自分だけで決めて新しい方法を取り入れてはいけない)』とおっしゃり、求君(冉有のこと)が同じ質問をすると、『すぐに実行しなさい』とおっしゃいました。私は戸惑っています。失礼ながら、理由をお聞かせくださいますか」。
先生は言われた。「求君は消極的な性格だから、どんどん積極的に行動しろと言った。由君は出しゃばりなところがあるから、慎むように言ったのだ」――――

2500年も前の、しかも儒教の開祖の言葉であるから、父や年長者への敬意が強調されるわけである。
それはさておき、人にアドバイスするというのは、結構難しいものだ。正しいことを言えば良いというものでもない。これはどこかの本に書いてあった例え話だが、野球のコーチが打者に向かって「ヒットを打てば良い」と言えば、それは正しいが、役には立たない。「このピッチャーは、カーブで勝負してくるぞ」と言えば、役に立つが、はずれることもある。はずれたら、コーチは責任を問われることになる。

子路や冉有の質問に対し、正しい答えは「新しいことを学んだら、それを取り入れた場合の良い影響と悪影響を考慮して、取り入れるかどうか判断しなさい」というものだろう。これは正しいが、「自分で考えろ」と言っているのと同じで、アドバイスにはならない。孔子は子路や冉有の性格をよく知っていたので、彼らの欠点を補うようなアドバイスをしたわけである。

現代のわたしたちは、子供の頃から「正しい答え」を出す訓練を受けすぎて、人の役に立つために思い切った発言をする勇気を忘れていないだろうか(*)。
もちろん、その発言で人に迷惑をかけた時は責任を取らないといけないのだが。ちらっとだけ反省してみる。

*「わたしたち」というのは、じつは「わたし」であることが多い。一般論ですが。

(by みやち)

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