魔 の 踏 切(5/最終回)

ビジュアル06

男子寮警察は結局「功」の獲得にいたらなかった。ぼくは結局「疑惑」を彼に話すことはなかった。もちろん「確かめたい」という気持ちはあった。その非日常的で刺激的で少々背徳的な匂いのする欲求を胸中の奥深いところにぐっと押しこめ、ぼくはたんたんとして平穏無事で退屈な男子寮生活に戻った。以前のように隔日で銭湯に通い、踏切ではうまく通過できたりつかまったりした。

「警察」を踏切で見かけたのは、後にも先にもこの夜の一回きりだった。男子寮の談話室で出会っても、彼はもうその話題を持ち出すことはなかったし、だれもその後の彼の捜索進展を聞こうとはしなかった。彼からその話題が出ない以上、進展なり成果がないことは明らかだった。もし本職の警察がそれを発見し、本職でない「警察」がその情報を入手したのであれば、彼はその事実を我々寮生仲間に必ず告げるだろう。そういう男なのだ。
寮生たちの大半が全くの無関心か「見つかるハズねーじゃん」という態度だった。踏切で自殺した女の左手首は、忽然とこの世界から消滅したのだ。それが当然であって、それ意外の結末などありえないという空気だった。
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しかしぼくは違った。「消滅した」とは思っていなかった。「警察」がどのように思っていたのか、彼は「どこかに必ずある」と信じて地道に孤独に捜索を続けていたのか、あるいは諦めてしまったのか、よく知らなかった。ぼくが知っていたのは「たぶんそこに……」と疑惑を向けていた木があった。ただそれだけだ。
結局その木の中に、葉で覆い隠されるようにして女の手首はあったのかどうか。ぼくはそれを確かめようとはしなかった。仮にそれを確かめる行動に出たとしよう。そして発見したとしよう。しかし発見したところで、だれにもそれを告げないだろう。もちろん寮生の「警察」にもだ。
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6月は過ぎさり、夏が来て、大学は夏休みに入った。大方の寮生はさっさと郷里に帰り、男子寮はガランとして閑散たる建物になった。ぼくは画材代を稼ぐためのアルバイトに精を出し、盆に実家に帰った。再び男子寮に戻る時期には、空の青味が深く澄んだ色に変化していた。秋の気配を感じる季節だった。
疑惑の木は落葉樹である。秋になれば葉が落ちる。ぼくはそれを期待した。葉が落ちたら、枝にひっかかっているものはむき出しになるだろう。だれかが「それ」を発見するに違いない。大騒ぎになるかもしれない。ちょっとした新聞記事になるかもしれない。ぼくは密かにその日を心待ちにした。
しかし結局「その日」はやってこなかった。ぼくは葉が落ち始めた時期から、さりげなく、周囲の通行人に不審に思われないように十分に注意しつつ、その木を観察した。銭湯に通うための往復、なおかつ遮断機につかまったときだけ、真剣に詳細にその木を観察した。そんなとき踏切の警報機が発する「カンカンカン……」という単調で無感動な警報音は、観察制限時間をぼくに告げているかのように感じたものだ。カンカンカン……ここに魔あり……カンカンカン……ここに見るもおぞましき魔あり……カンカンカン……。しかし成果はなかった。とうとう葉が全部落ちて枝だけの寒々とした姿になっても、なにも見つけることはできなかった。
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ぼくの話はこれで終わる。
結局、疑惑の木は疑惑でもなんでもなく無罪放免、「ただの木だった」という結論にしかならないような話であり、ここまで読んできたあなたはこの結末に、もしかしてがっかりしてしまったかもしれない。だとしたら申し訳ないとは思う。しかし結果はこうであっても、当時のぼくは「自分の勘違いだった」という結論ではなかった。「それ」は確かにそこにあったのだ。なんの痕跡も残っていないかもしれない。しかしそこにあったのだ。
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ぼくはその木に群がるカラスを何度も目撃していた。カラスの習性をよくは知らない。しかし1本の木に4羽も5羽もカラスが群がり、しかもお互いに牽制しあってガーガーギャアギャアと鳴いている。こんな光景を見たことがない。遮断機に通せんぼされた通行人の中にも、1本の木の中でいがみあっているカラスたちを怪訝そうに眺めている人がいた。しかし所詮はたかがカラスの騒ぎ声である。遮断機が上がればみなさっさと踏切を渡ったし、もちろんぼくもそうした。
遮断機がゆらゆらと上がった。ぼくはカラスたちが騒いでいる方向から視線をそらす一瞬前に、1羽のカラスが飛び立つのを見た。いかついクチバシにくわえていたもの。それは確かに赤い肉片だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 完 )