悪魔談(9)

悪魔談9

怒りは愚行に始まり、悔恨に終わる。
(ボーン)
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仮に自分が、中学生の若さで死んだとする。しかし現世にまだ未練があり、さっさと昇天せず幽霊になったと仮定する。幽霊になった自分はだれもいない夜の中学校に行き、暗闇の中でただひとり教室に座るだろうか。
「絶対にしない!」とぼくは断言した。「なんでわざわざ幽霊になってまで、そんな寂しい思いをする?」
「なに怒ってんの?」ルシファンはくすくすと笑った。
「あの人たちの世界に、暗いとか、寂しいとか……そういう感覚はないの。ただそこにいる。それだけ」
「わからん!」
人間はなにかひとつのことで怒り始めると、「あれも気にくわん」「これもムカつく」といった調子で、怒りの連鎖が発生するのかもしれない。いいかげんな宿直先生のおかげでとんでもない状況に置かれたぼくは、「恐怖の勃発→こんな目に会うのもあの先生のせいだ→怒り増幅」といった図式で、「異常あり」の後は怒ってばかりいた。いま思うと、この心理は恐怖から自分を守るための一種のガードを無意識につくっていたのかもしれない。恐怖で錯乱してしまうよりは、イライラと怒っている方がまだ自分を保っているといえる。
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我々は「異常あり」教室から次に向った。その教室に「◯」を記入するわけにはいかないので、とりあえず空欄にしておいた。後でそれを見た先生は、当然ながらその理由を聞いてくるだろう。そのときに思いきり脅かしてやろうという魂胆だった。密かな楽しみとした。
しかし先に書いてしまうが、この目論見は、結局達成できなかった。我々がなんとか任務を完了し宿直室に戻ったとき、あろうことかその先生は「大の字・大いびき・テレビつけっぱなし・シューマイの箱は空」という状況だった。ルシファンは爆笑していたが、ぼくは彼の大きな腹巻きを蹴っ飛ばしてやりたい気分だった。ちょっと声をかけてみたが、案の定というかもう完全に泥酔状態で、全く起きない。ぼくはテレビのスイッチを消した。いくつかの空欄を残したまま、教室点検表をチャブ台の上に置いた。我々は報酬の1000円を受け取ることなく、宿直室を出た。……その後数日、ぼくは父の顔色を探るようにして過ごした。もしかして宿直先生から父になにか連絡が入るかもしれない。しかし結局、連絡はなかった。その後、宿直先生に会うことは二度となかった。醜態は記憶に鮮明だが、今はもう名前さえ覚えていない。
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さて話を少し戻そう。我々は廊下の突き当たりにある音楽室に向かっていた。音楽室は他の教室と違い、施錠されている。我々は鍵束から音楽室の鍵を見つけて、カチリと回した。この瞬間ほど音楽室に恐怖を抱いたことは、かつてない。夜の中学校。だれもいない音楽室。これはもう「なにか出そう感」がみなぎっているではないか。ガランとした教室の隅の暗闇に沈むグランドピアノ。壁の上部に掲げられた額装の巨匠たち。ベートーヴェン、バッハ、モーツァルト。みな無言でこちらを見下ろしている。ルシファンはあちこち光を走らせた。ぼくは目を閉じてしまいたい気分だった。
「異常なし」
じつに事務的で無感動な声だった。今か今かと二重三重に警戒体制を張っていたぼくは唖然とした。
「異常なし!……なんにもないわけ?」
「不満そうね」
「いや……そんなわけでは」
やれやれという気分で音楽室の鍵をかけた。我々は廊下の中ほどまで引き返し、階段を上がった。その途中で彼女がすっと寄ってきた。
「異常あり」
見事に不意を突かれた感じだった。階段の途中の踊り場など、チェック項目にも入っていない。ぼくは足を止めた。彼女はぼくのすぐ脇を見ていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つづく)