悪魔談(13・前編最終回)

悪魔談13

人の考えを真に理解するには、彼らの言葉ではなく、彼らの行動に注意をはらえばよい。
(ルネ・デカルト)
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「窮鼠猫を噛む」に近い心理状況だったのかもしれない。度重なる恐怖の連続で、少々おかしくなっていたのかもしれない。あるいは校舎内ではなく校庭という野外、その開放感を得て無意味な強がりを言いたい気分だったのかもしれない。
「別にいいさ」とぼくは言った。
「どうせぼくには見えない。気配さえ感じない。痛くもかゆくもない。ついてきたって、構わない」
「ふぅーん」とルシファンは言った。再度ぼくの脇をまじまじと見つめ、そのまま無言で背を向けた。「勝手にしろ」と言わんばかりだった。突き放されたような気がした。
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我々は再び無言で歩き始めた。ぼくは自分の左をチラッと見た。好かれたみたいよ。ずっとついてきてるよ。……怖かったが、その子のことをもっと知りたかった。かわいい系の子だったのだろうか。美人系の子だったのだろうか。なぜルシファンは「病気で死んだのかも」と思ったのだろう。自殺の場合とどう違うのだろう。「聞けばよかった」と、いまでは思う。いま思い出しても、本当に残念でならない。つまらない意地など張らず、知りたいことをもっとバシバシと聞けば良かった。もっとルシファンに接近し、「ぼくの彼女だ」と言わんばかりの態度をとれば、彼女はもっと打ち解けて色々な話をしてくれただろう。この「教室にいた子」のことも、もっと詳細にわかったに違いない。
当時は「もう少し慣れたら……」と、そればかり期待してつまらない意地を張っていた。ルシファンが持っている能力に対する恐怖、彼女だけが見え、自分には見えないものに対する恐怖、しばらくしたら、もう少しつきあいを続けていたら、きっと慣れてくるだろうと思っていたのだ。しかしそれはまちがっていた。恐怖に「慣れ」などないのだ。
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2番目の校舎にはなにも異常がなかった。1階のトイレも、2階に上がる階段の踊り場も、2階のトイレも、まったく異常はなかった。ルシファンは相変わらずトイレには近づこうともしなかったが、ぼくが見る限り、なんの異常もなかった。髪の毛1本、落ちてはいなかった。
ルシファンは相変わらず微妙に怒っており、ぼくは相変わらず微妙に意地を張っていた。ガランとした真っ暗な校舎の中で「異常なし」「はい」という14歳男女の事務的な声だけが響き、ほかに私語は一切なかった。ぼくを好いてついてきた子も、さぞかし退屈だっただろうと思う。
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2番目の校舎を出て、3番目に向かっているときだった。
「ちょっと待っててね」
ぼくはうなずいた。ルシファンは校庭の暗闇に向かって歩いていった。
周囲を見回し、校庭の隅にポツンとひとつだけ灯っている街灯の下に行った。校庭は暗闇に包まれている。彼女が戻ってきたときに、見つけやすいところにいた方がいいだろうと思ったのだ。しかしその場所に立ち、「さて」という感じで彼女を待つ段になって、「いったいどこへ?」と妙に思った。こんなところでなんの用事があるというのか。あれこれ推測したが、さっぱりわからなかった。大体ぼくの見えないものを日常的に山ほど見ている女の子の行動など、このぼくにわかるはずがない。深く考えないことに決め、周囲の景色をぼんやりと眺めつつ彼女の戻りを待った。
10分ほどで彼女は戻ってきた。街灯の下で待っているぼくの姿は、彼女の方からはよく見えたのだろう。そのため懐中電灯は使わずに戻ってきた。ぼくの方からは、彼女の姿がよく見えなかった。暗闇の中でゴシロリ服の白い部分のみが、それぞれ独立した状態でチラチラと怪しげに揺れているように見えた。やがてそれらは集合し、ひとりの女の子の形となってぼくの前に出てきた。
「ごめんね」
ぼくはうなずいた。我々は3番目の校舎に向かって歩いた。
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話としては、じつはたったこれだけのことだ。なにか妙なものや怖いものが、居たり出たりしたわけでもなんでもない。
この時から9年後、23歳の時にルシファンは自分の命を断った。「悪魔談」の後編は、その話がメインになってくる。ぼくは彼女の死を知らなかった。知ったのは79日後であり、もうどうしようもないと分かっていたが、それでもその現場に急行したい気分になった。単位習得の点で問題が発生することはわかっていたが、大学の講義をサボり、男子寮で共用していたカワサキGPZ(250ccの単車)を駆って東京から琵琶湖まで走った。
その道中で、ぼくが何度も繰り返し思い出していたのが、じつはこのシーンだった。ルシファンが「ちょっと待っててね」と言って、校庭の暗闇に消えていった光景だった。なぜこのシーンなのか。それはいまでもよくわからない。たぶんぼくにとって彼女の死はどこか懐疑的であり、それはたぶん永遠に懐疑的であり、したがって「ちょっと待っててね」なのではないかと思っている。ぼくはいつまでたっても、ポツンとひとつだけ点灯している街灯の下で、暗闇を見つめて彼女を待っているような気がするのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 前編終了 )