魔の貸家(1)

…………………魔の貸家1

41歳から48歳までの7年間、埼玉県の貸家に住んでいた。ちょっと変わった物件で、「まあ普通の人は借りないですね」(地元不動産屋さんの言)という貸家だった。なぜか。その物件は東武東上線の駅から25分ほど坂道を登った丘にあり、墓地の脇にポツンと立っている小さな平屋で、まあどう好意的に見ても不便というか、淋しいというか、不気味というか……そういう物件だったからだ。

「なんでまたこんな物件を」
不動産屋さんが怪訝そうに聞いてきたので、ぼくは「画家です」と言った。すると彼は「ははあ」という表情で納得した。こんなとき「ガカデス」という呪文は便利だ。世間にはイコール奇人変人というイメージが定着している。たった4文字を発するだけで、大抵の人は「なるほどコヤツはそういう人種か。多少ヘンでもしかたがないな」という理解をする。

さて、なんでまたそんなところに貸家があるのか。
大家さんはお寺さんで、結婚した娘夫婦がそこに住めるように建てたらしい。しかし娘夫婦はそこに住むようになってしばらくしてから大喧嘩し、なんと二人ともそこを出て別の所に引越してしまった。数年間、その家は放置されていたが、見かねた檀家さんがお寺さんに進言し、地元の不動産屋にかけあって貸家物件にした。しかし借手などいるはずがなく、さらに数年がむなしく経過した。そういう物件だった。

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話を聞いて興味本位に貸家を見にきた友人たちも、あきれた。「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画原作は「墓場の鬼太郎」である。口の悪いライター系友人は「墓場の北野」と言って笑った。

「いくら安くたって、こんな墓守みたいな家、よく住む気になったな」という友人もいた。ぼくは「家賃が安い」などと言った覚えは全くない。こんな物件だから家賃は安いに決まってる、といった失礼千万な詮索だ。

確かに家賃は安かった。しかしただそれだけの理由で、そこを借りようと決めたわけではない。ぼくはその貸家から眺める夜景が気に入っていた。そこから見える夜景は独特で、黒々と沈んだ四角い墓石のシルエットが手前に並び、その墓石群の隙間からキラキラと明滅する街の明かりが見えた。なかなかシュールな眺めだった。

ぼくはその夜景を眺めつつ、幾晩もかけて幻想絵画を描いた。絵画制作で目が疲れると、家を出て自称「前庭墓地」を一周した。ただひとり墓場の闇の中に立ちそこから自宅を眺めると、アトリエのカーテンから漏れているだいだい色の光が、まぶしいほどの生活のきらめきに見えた。そんなときぼくはなにかを期待し、なにかを恐れつつ周囲の墓石群にゆっくりと視線を巡らせてみたが……得るものはなにもなかった。

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しかし墓地の脇に居を構えただけのことはあった。

変事は6月中旬の夜に、突然に起こった。ふとぼくは絵筆を止め、フッと呼吸を止めるようにして網戸ごしに墓場を凝視した。墓石林立の地面近い闇に、スィッと一瞬、光るものが走ったように見えたのだ。背筋を冷たいものが走った。「でた?」と思った。今日の夕方、そのあたりに喪服を来た5人ほどの人々が集合している様子を、ぼくはチラッと見ていた。

…………………………………………………(つづく)


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