魔の階(4/最終回)

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だれもいない階。窓際の暗闇。その状況が気にいっていた。
「異常だな」
わざと声に出してボソッとそうつぶやいてみたのだが……妙な期待とは裏腹に、自分がさほど異常とは思えなかった。

エレベーターの光る数字が次々に点灯し、下降し始めた。ぼくが立っていた窓際はエレベーターから少し離れたところであり、ドアの真正面ではなかった。……なのでエレベーターがこの階で停止しドアが開いても、乗客がドアから外に出ないかぎり、ぼくは発見されることはない。……そう思っていた。
その時点でぼくが予想していたのは、この階でドアが開き、しかしドアの外の様子に驚いた乗客は即座にドアを閉めるだろう。……というものだった。夜の10時半、ようやく職場から解放されて家路につこうというときに、こんな暗闇の階に興味を示して立ち寄る人はまずいない。しかしぼくは誘いこまれた。これはぼくという人間の性癖、あるいはその本質的なもののなにかを暗示しているのかもしれない。窓際の暗闇に立ち、両手をポケットに突っこんだポーズでしばらくそのことにつきあれこれと考えてみたが、まとまった結論は出なかった。

光る数字は停止しなかった。意外なことにそのままこの階を通過し、下に降りていった。
ちょっと焦った気分になった。ぼくはエレベーターの前まで行った。光る数字が「1」まで下降し停止状態になったことを確認してから、ボタンを押した。
「……もし反応しなかったら」
不安でドキドキしたが、ボタンはちゃんと反応した。エレベーターは戻ってきた。ため息をついた。
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1階のロビーはいつものように人であふれていたが、今日はその混雑が一段とひどかった。エレベーターに向かいつつ、腕時計で時刻を確認した。アポの時刻まで15分ある。ほっとした。正面を見ると、エレベーターは停止していた。ドアは開いていたが、その向こうに小部屋はなく、太いワイヤーが何本も下がっていた。周囲は黄色いパイプで遮断され、「作業中」と書かれた看板が下がっていた。そうかそれで今日は混雑が激しいのか。
ロビーに入ってきた人々は看板をチラッと見て、すぐ脇のエレベーターの方向に流れていった。ぼくも即座にそうしようと思ったのだが、グレーの制服を着た工員を見て、数日前の珍事をふと話したい気分になった。

「先週の金曜日ですが……」
ぼくは工員に声をかけた。夜のその時刻を告げ、勝手に停止した階を告げた。苦情を告げるつもりではなく、ただ「こんなことがありました」という事実を告げておこうと思ったのだ。
ところがその工員はチラッとぼくの顔を見ただけで、なんの返事もしなかった。エレベーターの点検チェックらしき用紙に視線を戻し、なにかを書きこんでいた。いかにも「仕事の邪魔」といった態度だった。「……無視?」とぼくは思った。「ひどいな」とは思ったが、そんなことでいちいち腹を立てている時ではない。無言でその場を立ち去ろうとした。すると背後から声がかかった。
「その話を信じないわけじゃないですけどね」
振り返って彼を見た。40歳ほどのガッチリした体格の男で、口髭を生やしていた。全体に愛嬌のある風貌だったが、ぼくの話に興味はないようだった。どこか憮然とした態度で言った。
「……このエレベーターは高性能でしてね。誰かがボタンを押さない限り、勝手に止まるということはまずないです」

それ以上この話題を追求する気はなかった。とにもかくにも彼は返事してくれたのだ。ぼくは軽く笑って頷いた。そのまま別のエレベーターに向かった。
上昇する小部屋の中で、彼の最後の言葉が妙に気になった。
「誰かがボタンを押さない限り、勝手に止まるということはまずないです」
…………………………………………………( 完 )