魔の虫(2)

……………………………%e9%ad%94%e3%81%ae%e8%99%ab2

日常的な些細なゴタゴタで気分が沈んでしまったとき、ぼくは少年時代を思い出す。いつものグラスではなくやや大きめのグラスを出してきて、ガラガラと氷を入れる。バーボンのオンザロックをやや多めにつくる。そのグラスを机上にドンと置き、バーボン特有の苦味ばしった風味をゆっくりと楽しみつつ、無音状態で追想モードに入る。……そう、ぼくの場合、追想モードはやはり無音がいい。

その点で、いま住んでいる山村の古民家は、日が落ちてしまうと恐るべき静寂に包まれる。もの音ひとつしない。目の前の県道と自宅との間には、ささやかな茶畑が斜面に広がっている。わが居城は県道から眺めると茶畑を前庭とし、深い森を背景とした斜面に建っているように見える。このあたりは、日が落ちてしまえば人も車もすっかり絶える。まれに登ってくる車の音をかすかに聞くと、「きっといま、あの車のドライバーはぼくの家の灯を見ているにちがいない」と想像してニヤッと笑う。それほどに、このあたりは人家の灯さえまばらだ。そんなときの「人家の灯」は、味気ない蛍光灯の白であってはいけない。そこで県道に面した窓際には背の高いスタンドを立て、白熱電球を灯すようにしている。存分に追想したい時はこのスタンドのみを点灯させ、他の照明はすべて消す。するとバーボンの琥珀色もさらに深みが増すように思われる。
………………………………………………**
さて、たとえば「さあ子供時代を思い出そう」という時、あなたはどこから子供時代に入るだろうか。印象的なワンシーンからだろうか。それとも、とりとめなく記憶の糸を探って行くのだろうか。ぼくは前者であることが多い。そしてそのシーンは「虫を探しているシーン」がじつに多い。
幼稚園から小学校に上がる頃というのは、ぼくは本当に虫ばかり探していた。60歳になった今では「なにゆえにああまで熱心に虫をさがす必要があったのか」と不思議に思うぐらいだが、とにかく熱心だった。
………………………………………………**
こんなシーンが思い出される。近所の少年たちが5人ほど集まり、野原に出かけてゆく。畑や林の脇をわけもなく走ったりはしゃいだりし、やがて誰からともなく「石、やろか」という。歓声があがり、ガキどもはパッと散って思い思いの方向に石を探しに行く。小さな石ではない。自分たちの頭ぐらい、あるいはもうすこし大きいぐらいの石を発見すると、あれこれ検討する。「まあいいだろう」ということになると、大声を発して仲間を呼ぶ。集合した仲間もその石を吟味し、「まあいいだろう」という結論に至ると、全員がその石に手をかけて「それっ」とばかりに一気にひっくり返す。その下に潜む虫を楽しみとしているのだ。

この遊びには当たりハズレがある。そこがまた面白い。石自体に生意気にも苔が生えていたりして、いかにもすごそうな何者かがその下に潜んでいそうな気配なのに、イザひっくり返してみるとなにもいなかった。……なんてことがある。また逆に大して期待せずひっくり返してみたところ、パアッと複数の虫がいっせいに散ったりして、ガミどもは「わあっ」と歓喜と恐怖の入り混じった声を発して尻餅をつきそうになったりする。どんな虫が出てくるか全く予想はつかない。予想はつかないが、その中でもガキどもが最も真剣に恐れていた虫がいた。それがチンポキリだった。

……………………………………………( つづく )

………………………………………………………………………………………………………………