魔の虫(4/最終回)

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今回の話をここまで読んできて、あるいはイメージビジュアルを見て、あなたはこの「魔の虫」がハサミムシであることにすでにお気づきであろうと思う。そしてまた「チョキンと切ってしまう?……そんなデカイヤツがいるのか?」と思われたかもしれない。そんなデカイヤツは実際にはいない。しかしガキ仲間時代の、我々の世界にはいた。
少年時代に思いを馳せてあれこれとなつかしく思い出すとき、「あの頃は日常的にファンタジーだったなぁ」と改めて思う。それはどのような意味での「ファンタジー」なのか。現実生活と自分たちの「共有空想」が半ば混沌とした状態で溶け合っていた。そういう生活だった。

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たとえばこんなシーンが思い出される。
ひとりが草むらで「わぁっ」と叫んだ。周囲で石をひっくり返していたガキ共は、「なにごとならん」と一斉に彼のところに駆けつけた。
「逃げた!」
彼の声はすでに恐怖で泣き声に近い。逃げたのは何者か。本人に聞くまでもない。もうその状況で、我々には十分過ぎるほど分かっている。全員に戦慄が走った。
「どこ?」とひとりが聞いた。すでに「チョキンと切られる」ことを早々と覚悟しているらしい友人は、震える指で足もとの地面を指差した。
「どれぐらい?」と別のひとりが聞いた。恐怖と悔恨で半ば朦朧としている友人は、両手の人さし指でその大きさを示した。10センチほどはあるだろうか。さてこうなるともう、一秒も無駄にはできない。立ったままベソベソと泣き始めた友人の周囲で、残りのガキ共は一斉に魔の虫を探し始めた。まさに必死。まさに「血眼になって」という表現が、このシーンにはふさわしい。

やがてひとりが「うりゃぁー」とか奇声を上げながら、地面を何度も何度も踏みつけた。ついに発見したのだ。他のガキ共は「おーっ!」とか「やったかぁ!」と口々に叫びながら、転がるようにその現場に急行した。ひとりがこわごわでその靴の下を覗き込むと、3センチほどのヤツがペッタンコになって潰れていた。ガキ共は一斉に歓声を上げ、相変わらずベソベソとやっている少年のところに走って行って「よかったなあ!」「もう大丈夫!」と口々になぐさめたものだ。
そのように感動的なシーンで「大きさが違うじゃないか」「コイツでまちがいないのか」などと無粋な意見を述べるガキはいない。我々が発見し即座に踏み潰したヤツが「殺すべきヤツ」に決まっているのだ。その証拠は、翌朝になるとじつに明白な結果となって、我々にもたらされる。泣いていた友人は喜色満面で我々のところに走ってくる。ハリウッド映画のように感動的なラストシーンだ。その友人の「涙の走り」はスローモーションがより効果的だろう。バックミュージックはエンニオ・モリコーネでなければならない。

冗談はさておき、彼が走ってきた先にたまたまぼくがいた。彼はぼくにしがみつき、「大丈夫やった!」と言いながらまた泣き始めた。「よかったなぁ」と言いながら彼の肩を抱いてやると、驚くほどにガクガクと震えていた。ぼくはこの歳になっても、目を閉じるとありありとその震えを思い出すことができる。「コイツ、寝てないな」と察知し、さらにギュッと強く彼の肩を抱いてやっものだ。なつかしく、せつなく、いとしい思い出である。
…………………………………………………( 完 )

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