走魔灯(3)

…………………………走魔灯3

その場の状況としては、明かりはぼくが持参したコールマンのランタンを灯していた。じつはぼくはテントも担いで山に入っていたのだが、日没が迫る時刻で降りしきる雪を見て「こりゃテントで夜明かしはやばい」と判断し、安全策をとってUターンした。半時間ほど戻って山小屋に逃げ込んだのである。時期的に山小屋が閉鎖されていることはわかっていたし、通過した時点でその閉鎖状況も確認していた。しかしその山小屋についていえば「この羽目板を外せば容易に入ることが出来る」という一種の避難手段を以前に聞いて知っており、それを知っていたのでその山小屋までUターンしたのだ。

首尾良く内部に入ったぼくは「やれやれ」という気分でランタンを灯してくつろいでいた。そのまま平穏な一夜を過ごせるはずだった。ところが1時間もしないうちに、ドンドンと戸板を叩く音がした。戸板を蹴っ飛ばしているんじゃないかと思うほど激しい叩き方だ。「乱暴なヤツだな」と思いつつぼくは裏口の戸板を外して、2人組の男たちを見た。我々はそのようにして出会った。

「この人はすぐに体をあたためないとやばいっ!」とぼくは怒鳴った。「あんたがそれに気がつかなくてどうするっ!」という非難をこめて多少声を荒げたつもりだったが、ブラックニッカ男は「ああそうか」という感じで、てんで反省の色もない。「だめだコイツはっ」と腹立たしく思い、大急ぎでザックからガスカートリッジコンロを出して着火した。熱いスープを作った。衰弱している男の上着を調べて見たが、幸い湿ってはいなかった。すぐにぼくの寝袋に入ってもらった。なんとこの男は自分の寝袋を持っていなかったのだ。非難をこめてブラックニッカ男をチラッと見ると、「まあこんなことになるとは夢にも思ってなかったしな」などと言いつつ、あきれたことに2つめのブラックニッカを開封している。蹴飛ばしてやろうかしらんと思ったが、こんな酔っぱらいの相手をしているヒマはない。「とにかく入れ」とチョコレート男をぼくの寝袋にすっぽりと入れ、首だけを出した状態で熱いコーンスープを飲ませた。しばらくして頬に血色が戻ってきた。涙が出るほど安堵した。
「寝袋を返さなくては……」というのでぼくは笑った。
「ここまでの努力を無駄にしろというのですか?」

じつは秘策を思いついていた。ぼくはテントを持っていた。アウターとインナーの二重構造になっているテントで、そのため広い面積の強靭なビニールシートを2枚持っている。2枚ともミノムシみたいに自分の体にぐるぐる巻きにした。その状態でスープを飲むと、思ったとおりすごくあったまった。どうやらこれでいけそうだった。
ぼくは衰弱男に何度かスープを飲ませ、自分も何度かに分けてスープを飲んだ。ブラックニッカ男に対してはひどく腹を立てていたので、無視した。もし「俺にも分けてくれんか」と言ってきたら、少しは分けてやってもいいと思っていた。しかし彼はずっとブラックニッカのみをチビチビとやっており、スープを見てもなにも言わなかった。そこでぼくは無視した。

スープに対する要求は不思議なほどなかったのだが、彼はしばしば「おい、あの話をしてやれよ」と口にした。「妙な男だな」とぼくは思った。なんでその話をぼくに聞かせたがっているのか、さっぱりわからなかった。あるいは自分が聞きたかったのかもしれない。

しばらくして多少落ち着いたらしく、チョコレート男はポツポツと話し始めた。
「じつは雪庇にやられたのです」
「……ああやはり」と思った。雪庇(せっぴ)というのは、冬山クライマーたちが最も恐れる「雪のかたまり現象」である。尾根とか山頂に強い風が吹くと、風下方向には雪がどんどんかたまりとなって伸びてゆく。しかし所詮、それは雪のかたまりでしかないので、じつにもろい。しかも下には土がない。そこを地面だと思って歩こうとしたクライマーたちは、まるで落とし穴にでも落ちてしまったように雪を突き破り、そのまま谷底に転落するのだ。じつに怖い。まさに「魔の雪山現象」というほかない。

……………………………………………( つづく )

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