走魔灯(5/最終回)

…………………………走魔灯5

さて「冒頭に語っていた走魔灯とやらを作る話はどうなった」という声が聞こえてきそうである。そこでこの最終回ではいよいよ「走魔灯」を組み立てつつ、山小屋談の顛末を語って終わりとしたい。
一般的に走馬灯はその名のとおり「疾走する馬」の図柄が、最も正しい走馬灯というべきである。しかしその「馬」を「魔」にとっかえてしまった以上、馬を出すわけにはいかない。ではなにを出せば「魔」となるのか。これは非常に悩ましい制作課題となった。「走る悪魔」という案が浮かんだ。しかしこれは絵柄としては面白いかもしれないが、コンセプトとしては安易であると言わざるをえない。「魔」イコール「悪魔」ではないからだ。「魔談」シリーズの「悪魔談」でも触れているが、悪魔とはキリスト教の産物であって、「魔」という広大無辺の暗黒フィールドから見れば、そのごく一部で暗躍しているにすぎない。ではどうするのか。
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具体的になにを見たのか、という内容については彼は口を閉ざした。
「……言いたくない」
「チッ」とブラックニッカは舌打ちした。「そこが一番聞きたいのによ」
どうやらそれは滑落男の胸中奥深くに秘し、誰にも話したくないらしい。ぼくはブラックニッカをチラッと見た。なるほどそれでこの男は何度も「あの話をしてやれよ」と持ちかけたのか。何度か催促して語らせているうちに、そのうちに気が向いて核心部分を語るかもしれないとこの男は期待しているらしい。……だとすれば、人間洞察がてんで低いと言わざるをえない。
「……なるほど」とぼくは言った。言いたくない理由はわかるような気がする。極めてプライベートな至福シーンだったのかもしれない。あるいは「言いたくない」というよりも「他者に説明などできるはずがない」といった気分なのかもしれない。……質問の矛先を少し変えてみた。
「また見ると思いますか?……もう1回見れると思いますか?」
「ああそこなんですが……」
彼の目はたちまちうっとりとした色となった。瞳が左右に微振動している。いままさにその一部を追想しているのだろう。よほどいいシーンにちがいない。
「いまからそれがもう本当に楽しみで……」
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数日間あれこれ悩みつつラフスケッチを重ねた。しかしどうにもだめだった。結論としては「具体的なものはなにひとつ該当しない」というじつに皮肉な結論だった。具体的でない以上、ラフに描けるものではない。馬鹿げた男だと思われるかもしれないが、こんな時のぼくはもう本当に体が痩せてゆくほどに悩む。しかし「走魔灯の組み立てがうまく行かず衰弱死」などという人生の終わらせ方はしたくない。鉛筆を置いた。イメージを求めて瞑想に入る時間が長くなった。……「なにか〈魔〉を感じさせるもの」。これをゆらゆらと走らせる。これしかない。……そう思った。
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「言いたくない」以上、もうこれ以上この話題を続けることには、なんの意味もないように思われた。それにこの男は(……とぼくは思いつつ、彼の白い唇を見た)とにかくすぐに睡眠を取らせた方がいい。そのように伝えると、彼はうっすらと笑った。ちょっと奇妙な、妙に媚びるような……それは不思議な笑みだった。
「じつは……あそこで寝ようと思ってます」
彼が寝袋から指先を出して示したのは、ブラックニッカだった。なにを言いたいのかよくわからないままにぼくが頷くと、驚いたことに(ぼくは本当に驚いたのだ)、彼はさっさとぼくの寝袋から自分の体を引き抜き、ブラックニッカのところに行った。するとブラックニッカはニヤッと笑って自分の封筒型寝袋に彼を迎い入れた。随分大きな寝袋だな。外国人用かな。……と思っていたら、こういうことだったのだ。なるほどひとつでいいわけだ。
かろうじて理解はできたものの、まだ混乱から立ち直っていないぼくは言葉を失った。黙っているぼくを見てブラックニッカは「気を悪くした」とでも思ったらしい。
「……まあ、そういうことだ」と彼は言った。「これがしたくて、いつも山に誘うのはコイツの方だ」
彼はさらになにか説明をしようとしたが、ぼくはそんな話題に興味はなかった。
「……とにかく」
ぼくは彼の言葉を遮るようにして言った。
「この状況では理想的な体の温め方と言えますね。しかもぼくの寝袋もちゃんと戻った。寝ましょう」
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世にも奇怪な装置が完成した。回転する円筒形には、直径5mmほどの、横に並んだ穴がふたつ。ただそれだけ。他にはなにもない。その穴はロウソクの炎に近い高さにある。輝きつつゆらゆらと動き、ときどき止まる。その瞬間、その外側を包む円筒形は目だけを光らせた顔となる。顔は再びゆるりと回転し、なにかに興味を示したかのように、また止まる。輝く目で暗闇をじっと凝視している。「じつに不気味」とニヤニヤしつつ、ぼくは悦にいってバーボンを飲んだ。

…………………………………………………( 完 )

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