魔のカーブ(5)

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バスは崖から10メートルほど下の谷川に転落した。大破し炎上し、乗客乗員の全員が死亡と報道された。遺体はすでに引き上げられたはずだった。

黒焦げの車体はまだ崖下に残っているのかどうか勝也は知らなかったし、そんなことに興味はなかった。彼はただその事故現場に行き、その崖に立ってみたいと思ったのだ。その現場に到着し崖に立って吠えたのも、ただ衝動的にそうしたかったから、やった。理由なんてなにもない。すべてその場の思いつきで短絡的な行動をしたにすぎない。もう数回吠えて気がすんだら車に戻り、女の子を乗せてどこか夜景のきれいなところに行くつもりだった。ところが……

体が動かなかった。なにか大きな力がかぶさってきて、両肩を上からぐっと押さえつけられたようだった。金縛り状態だ。悲鳴をあげたい気分だったが、声さえ出ない。驚きで息が詰まりそうになった。あせって体を動かそうとしたが、だめだ。ガードレールのない崖に立ったまま、吸いつけられたようにただ下を見た。崖下の深い闇に、なにか異様な気配がする。硬直した体で、半ば強制的にその闇を見つめた。するとそこからぞろぞろと這い上がって来る黒い影が見えた。ぼんやりとした月明かりに先頭が見えたとき、勝也の心臓は凍りついた。それは黒焦げの人間だった。「ありえない」と思いつつ、体中がガタガタと震え始めた。まずい。ここにいてはまずい。焦るばかりで、体は全く動かなかった。

背中になにか触れるものを感じた。その瞬間に声が出た。「うわぁっ」と叫んで背後を見ると、女の子が立っていた。勝也の様子がおかしいので、心配して見に来たのだ。説明の余裕はなかった。無言で女の子を運転席に押しこめ、彼女を奥に押しのけるようにして自分も車に入った。バタンとドアを閉めてロックし、ため息をついた。あれはなんだ。幻覚か。なんにしても、ここはまずい。早く逃げよう。震える手でキーを回したが……

エンジンがかからない。いらだってガチャガチャと数回やってみたが、反応がない。こんなことはいままでなかった。勝也は混乱した。ふと見ると、車の前に黒い影がすっと立った。数人の影が次々に立った。彼は動転して座席に背中を押しつけた。女の子がなにかを見て悲鳴をあげたが、それどころじゃなかった。車の周囲をザワザワした気配が取り巻いていた。彼はハンドルの下にもぐりこもうとしたが、狭くて無理だった。

振動を感じた。信じられないことが起こった。タイヤがジャリッと小石を砕く音がする。車がじわりじわりと動いている。ゆっくりと前進している。このまま進めばどういうことになるのか、すぐにわかった。「やめてくれーっ!」と内心で悲鳴をあげたが、実際には声が出なかった。彼はあわててハンドルにしがみつき、ハッと気がついてサイドブレーキをギイッと引いた。車は停止した。しばらく様子をうかがっていると、周囲のザワザワした気配は少し遠のいたように感じた。風に紛れて、泣き声のようなものがかすかに聞こえた。「あきらめたか」と思ったが……

そうではなかった。以前よりもさらにゆっくりと、車は動き始めた。数人が背後から車を押している。そうとしか思えなかった。もうどうしたらいいのかわからなかった。ぐったりと座席にもたれた。ふと女の子を見ると、うずくまったままで動かなかった。気絶しているのか。そうかその手があったか。

ガクンと衝撃が走った。とうとう前輪が崖から外に出たのだ。運転席にいてはまずい。彼は座席を押しのけるようにして、後部座席に移動した。前輪がはみ出し腹をガリッとすってから、それでも車はじりじりと動いていた。勝也は狭い後部座席にうずくまったまま、墜落の瞬間を待った。「こんなことで……」と彼は思い、その瞬間に思い出した。ついさっき聞こえてきたかすかな泣き声……それは泣きながら、同じことを言ってたのだ。

……………………………………(つづく/次回最終回)

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