魔のオブザーバー(2)

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【 その2:パーカー 】

同じ銭湯に足繁く通っていると、必然的にだいたい同じ曜日・同じ時刻に行くことになる。するとなんとなく「……あ、また来てる」という男と出くわす。きっと相手もそう思っているに違いない。そのうちに知人でもなんでもないのに、チラッとお互いを認めると軽く笑い、軽く頭を下げたりする。そういう「銭湯顔見知り」の中で強烈な印象を残した男がいた。陸上競技選手のように痩せた黒人青年で、下品な愛嬌男で、パーカーという上品な名前だった。この男の話をしたい。

初めてこの黒人青年を見たとき、ぼくは湯船に浸かって全身に泡を浴びていた。カラリとガラス戸が開き、フンフンという鼻歌。そのとき浴室にはぼく以外に4人ほどの男がいたが、その男たちのあいだに一種微妙な緊張が走った、ような気がした。2人のオジサマがじつにアカラサマな態度をとった。彼らは腰かけて体を洗っていたのだが、明らかに多少あわてた様子でその行為をスピードアップし、そそくさと脱衣室に引き上げていった。

この男の登場は、いつも音楽と共にある。フンフンというハミング、手の動き、腰の振り、1980年代に一斉を風靡したブラコン(ブラック・コンテンポラリー)が全身の血となって流れているような男だ。声は確かにいい。興が乗ってくると周囲を全く気にせず浴場で歌い始めるのだが、その中でもマーヴィン・ゲイのスーパーヒット曲「Sexual Healing」(1982年)はぼくも当時好んで聴いていたので、「うまいなぁ」と何度か感心した記憶がある。

彼はタワシのような頭にお湯をぶっかけると、そのままぼくの前にやって来て浴槽に入ろうとした。ぼくは少し移動して彼が入りやすいようにした。するとザブザブと浴槽に入ってからぼくを見てニヤッと笑い、頭にポンとタオルを乗せ、そのままぼくと向き合うような位置に身を沈めた。驚いたことにゴチャゴチャとなにか英語で言い出した。なにを言ってんだかさっぱりわからないし、わかろうという気にもなれない。しかしその表情や大袈裟すぎるジェスチャーを見れば、銭湯における哲学的考察を語っているとは思えない。中指を1本立てたり、目をクルクル動かしたり、ニカニカと白い歯をむき出してみせたり、「ファック」だの「ビッチ」だの、どうも大変にいかがわしい話をしているようなのだ。無視しようにも、手を伸ばせばタワシ頭の巻き毛を引っぱれるぐらいの距離でベチャベチャやっている。どうも困る。だいたいここは大日本国の大浴場なのだ。貴様、ベチャベチャ英語なんかしゃべっとらんでちゃんと日本語で話をせんかい、というムッとした気分になった。どうにも耐えられなくなったので、「うるさいなあ!」と言った。どうせコヤツは日本語なんかわからんだろうから理解できまいという腹だった。果たして彼は絶句し、キョトンとした顔になった。
「ルサイナ?」
「違う。うるさいなあ」
「ウ、ルサイナ?」

あきれてしまった。彼は「ウルサイナ」と続けて発音することができないらしい。まあそれはどうでもいいが、自分の胸に親指を向けて「パーカー」と言った。続いてぼくの胸に人差し指を向けて「ルサイナ」と言った。完全に勘違いをしている。「馬鹿かコイツは」と思う。いったいどこの世界に銭湯の湯船で向かい合っただけで自分の名前を名乗る人間がいるのか。オジサマどおしが頭にタオルを乗せ、湯船で向かい合って「鈴木一郎」「吉田善行」なんて仏頂ヅラで挨拶を始めたら、ギャグを通りこしてものすごく不気味な世界だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )
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