魔のオブザーバー(5)

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【 その3:マグロおじさん 】

マグロおじさん。これを聞いてあなたはどんなおじさんを連想するだろうか。海中を魚雷のようにビュンビュンと突進するマグロは、一説によれば「止まると死ぬ」などと言われている。本当かどうか知らないがそんな説が出てくるぐらいの魚であり、「マグロのように……」というのは「たえず動き回っている」とか「いつも活発に仕事している」とか、まあそういうイメージなんだろうと思う。

しかしぼくの言う「マグロおじさん」はそういうアクティブなおじさんではない。むしろ真逆で、より正確に言えば「市場のマグロおじさん」ということになろうか。……そう、陸に引き上げられてゴロンと横倒しになってしまったマグロを連想しているのだ。なぜそんなものを連想してしまったのかよくわからないが、とにかく色々な銭湯を巡っていると、「なんだここは?」と思うような妙な光景に出くわす銭湯が、時々ある。おじさんたちが4人も5人も浴室の床に転がっている。そういう銭湯がある。そういう光景を見るとマグロの競り市を連想する。「まるでマグロだな」と思う。なのでマグロおじさんなのだ。

男湯とは、男性諸氏の裸を鑑賞する場でもある。ぼくはそう思っている。そうした視点であれこれ眺めると、「なんとまあ男の腹は、こんなにでかくなるものなのか」と感心することがある。……とはいえ別段それは珍しいことではない。小錦(力士)を見て「なんとまあ人間は280キロともなると、こんな体になるのか」と感嘆したことがある。ぼくの平均体重は53キロなんで、なんとぼくの5倍もある。5人のぼくが小錦を囲んでいるところを自動的に連想してしまったのだが、まさに痩せたハイエナが堂々たる巨象を囲んでいる感じだ。笑える。

しかし力士を見て「すごいなあ。重そうだなあ。強そうだなあ」と驚嘆することはあっても、複雑な心境になることはない。丸々とした大きなお腹を抱えたおじさんたちが4人も5人も浴室の床に転がっている光景を見ると、ちょっと複雑な心境になる。「これほど無防備で、無様で、醜悪な動物はこの地球には他にありえないのではないか」などと真剣に考え始める。「やはり天敵不在の動物は、退化の道を歩み始めるのではないか」と思ったりする。「もしぼくがヴェロキラプトルだったら……」などと夢想が始まる。

ヴェロキラプトル。この舌を噛みそうな妙な名前は何者か御存知だろうか。……そう、映画「ジュラシックパーク」に登場の小型肉食恐竜である。食器をガッシャーンと蹴散らして、調理室で子供たちを追いかけ回したヤツらである。「さすがにスピルバーグ」と言うべきかじつに面白い特撮満載映画だったが、「やはりスピルバーグ」と言うべきかちょっと娯楽優先映画に走ってしまった残念感もある映画だった。同名の原作(マイケル・クライトン)はホラー小説なみに戦慄シーンが凄まじい小説である。テンポもじつにいい。恐竜が好きな方はぜひ原作の一読をお勧めしたい。ヴェロキラプトルがいかに恐ろしいハンター恐竜であったか、様々なシーンで克明に描写されている。ヤツらは猛スピードで走り、驚くほどのジャンプ力を見せ、鋭いカギヅメで獲物の腹をかっさばく。一撃で人間の腹などぱっくりと裂けて、臓物はこぼれ出る。そのあまりに凄まじい惨殺シーンで背筋にゾッと冷たいものが走り、思わず本を置いてバーボンをやりながら「コイツら絶滅してホントによかったわ」と思うことが何度もあった。

以来、ぼくはマグロおじさんたちの醜態を見かけると一瞬目を背け、次の瞬間に「気分はヴェロキラプトル」となってその醜態をじぃっと爬虫類的に見つめ、彼らの丸々と膨れあがったお腹を次々にかっさばいてグチャグチャと食い散らかす光景を夢想し、ペロッと舌を動かす。……あっ、引きましたね。そうそう、それでこそ正常な反応というものです。

………………………………………(つづく/次回最終回)

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