魔 談【 魔の工房6】

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その助教授はなにか質問を受けたり話しかけられたりした時に、すぐには応答せずしばし黙って相手を見つめるという態度が癖になっていたのではないか。そんなふうに思えてならない。あるいは彼なりの計算で、学生など「自分より下」と見なす人間に対してはそうした無言の威圧を与えるような「上から目線態度」をわざと作っていたのかもしれない。いずれにしても嫌な男だ。ただその効果は確かにあったと言わざるをえない。

ぼくはデッサンを得意とする男なので、こうしたときに相手の表情なり目の動きなりを注意深く観察して、どのような心の働きがそこに露呈されているか想像することにいささかの自信がある。このときはまだ大学生であり、いまのぼくの目からすればまだまだその想像も甘い。しかしそれはさておき、いまだに強烈なイメージとしてまざまざと記憶に残っているのは、この時のこの男の目からはまったくなんの感情も読み取ることができなかったということだ。それは本当に、感情のない、ハ虫類のように冷ややかで不気味な目だった。

「まあ、いいだろう」しばらくして彼はそう言った。「……外でもどこでも行って、相談してくるがいい。しかし10分だ。それ以上待つつもりはない」

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「悪いけど、オレは抜ける」
最初にそう伝えてきたのは、ミシマだった。我々は事務所を出て10歩ばかり歩いた現場に立っていた。残暑のきつい夕暮れだった。
「……このまま行くと、なんか悪いことが起こりそうな気がする。なんか怖い」
熊が出て来ても格闘できそうなゴツイ図体をして「なんか怖い」という発言には思わず笑いそうになったが、「抜ける」件についてはまったく同感だった。もう報酬がどうこうという気分ではなかった。一刻も早くこのバイト現場、というよりも生理的に気持ちの悪い助教授の支配下から逃げ出したい気分だった。
「じつはぼくもそう。……クビでいい。もうこの仕事はやめたい」

我々はダザイを見た。これでダザイも同意。ぼくはそう予想したし、ミシマも同じだったにちがいない。
ダザイは崩れた前髪をかきあげようともせず、じっとうつむいて聞いていた。ミシマとぼくがチラッと視線を合わせた瞬間に、ボソッと言った。「……帰れない」

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ダザイは説明した。彼にとってこのバイトはじつはただの出稼ぎではなかった。この発掘現場で学んだ事項のレポートを書くことになっており、それを大学に戻って教授に提出する予定になっていた。そのレポートの出来不出来により、彼は単位を獲得できるかどうかが決まるらしい。したがってレポートは正確かつ詳細でなければならない。自分が与えられた仕事内容だけを綴った作文程度のものではダメで、発掘現場全体を俯瞰しその意義や目的などを掌握したレベルの内容でなければならない。

「こりゃ大変だわ」と思わざるをえなかった。「……こりゃ小論文レベルだわ」
それで「3人とも大ガリなんですか?」質問が思わず出ちゃったわけだ。かくして助教授にニラまれたというわけだ。
同情気分はあった。しかしつきあうつもりはなかった。
……ところが。

じつに奇妙な心理だと自分でも思うのだが、ミシマの反応、「……悪いけど、オレには関係ない。オレは抜ける」と聞いた瞬間に、なにか怒りに近い衝動がザワッと内部に走った。
「……ね、明日と明後日の、たった2日間の辛抱じゃん。コイツにつきあってやろうぜ」
ぼくは心にもないこと、自分の本音とは全く正反対の意見を述べていた。しかもミシマがなにか言いかけた瞬間に、彼の口を封じるかのように畳みかけた。
「体力には自信あるんだろ?……もうちょっとつきあえよ。がっちり2万円、いただこうぜ」
気の弱いミシマは同意した。彼が同意した瞬間に「……しまった!」と後悔した。

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )

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